映画の中のV

映画祭の後片付けも無事終り、まあ何かリラックスできる映画でも見ようということで、こんなのをぶらりと家で見ていたのだが。

レッド・ブロンクス [DVD]

レッド・ブロンクス [DVD]

NYのブロンクスを舞台にしたアクション映画。ブロンクスのギャングとジャッキー・チェンの死闘が繰り広げられる。
ブロンクスってこんなところなのか、それにしても、なぜか口パクの吹き替えなのは、低予算だからなのかしら、とか思いつつ一時間くらい観たところで、ラッコが変なことを言い出した。
見たことのある風景が今映ったっていうのである。
巻き戻してみると、確かに見覚えのある街角がそこに。
なんと、この映画、ロケ地はブロンクスではなくて、全編V市で撮影されていたのである。
1995年の映画だから、15年以上も前のVの町並みということになる。
ハリウッドノースと呼ばれるV市。
今でもよく、街の区画をブロックして、映画撮影が行われているのに出くわす。

この映画のヒロインは、セクシーなアジア系の女優さんなのだが、
ラッコが「でも、このくらいの美形、けっこうVにはたくさんいるよね」とか言い出して、私も「そうだね、うちのヨガ教室にもこの女優さんに似た人がいるよ」なんて言っていた。後で調べてみて、思わず「あああ!」と叫んでしまった。

この人、バンクーバー出身の女優さんで、名前からしても間違いなく、ヨガ教室に来てる人と同一人物。もう5年も毎週見かけている人なのに、全然気づかなかった。奇麗な顔立ちの人だとは思ってたけど、まさか映画女優さんだったとは。いや、驚いた。

寒くて熱い夏

外気温17度、夜12度。
それでも心はやたらに熱い。
寒くて熱い夏。

リッチモンド国際映画&メディア芸術祭、無事終了。

今日は雨すらちょっと嬉しい。
ようやく昼寝できそうな、午後五時半。
もう書き続けるのも眠い。

自分の体を自分のものではないみたいに、
自分ではない誰かのために使った後の倦怠。

悪くない。

七夕決行!

どこにいても、必ず決行する行事・七夕。
地の果て、空の果てでも決行。
晴れだ。よし。
と、今日はハイキングに出掛けることにした。
山の上で願い事でも書いてみようかと、
念のために星と短冊を持参したのだけれど、
一時間ほど登った辺りから残雪。
雪残る美しい湖がチラと見えた辺りで、
なぜか蜂の警告が強くなり、
ブンブンとつきまとい追いかけてくるので、
グワーとかワーとか声を上げながら、
一目散に降りて来た。

それにしても、
山というか自然というものは、すごい。
何がすごいかというと、
空、土、岩、水、木、草、花
といった具合にエレメントの構成がどこまでもシンプルで、
落ちた松ぼっくりは朽ちて土になり、
溶けた雪は水となり、
この無駄のない循環の透明、
人がちょろっと作ったもののような濁りというものが一切ない。
ぶおぶおぶお、と鳥らしき声が聞こえて、
ちゅろちゅろ水も流れるが、
そのどれもがいい匂いで、
ひとつとして、何も汚さない。
こういうものの中を歩いていると、
人間であることが少し恥ずかしくなる。
ゴアテックスの靴だとか、化繊の黄色いパンツだとか。
変なやつだろ、人間って。

家に帰って、☆と短冊をベランダの竹の棒に飾った。
Vで笹を売っている店なんてまず見かけない。
だからこうして、毎年変なものに短冊を飾る。
もう何年になるだろう。
☆もそろそろ、さらりとした笹にぶらさがりたいと思っている様子だ。

休日:花火:寒い夏

今日は昨日のカナダ・デーの振替休日。
昨日のカナダ・デーはカナダの建国記念日国民の祝日
Vではパレードと花火大会があった。
居合の稽古の後、夜9時半頃にダウンタウンにアプローチ。
花火は10時半からだというので、ぶらぶら出掛けた。
やたらに寒い。
今年の夏は、全然気温が上がらない。

寒さと花火というのは、どうも結びつかない。
N市の花火大会に慣れているから、
花火というと、蒸し暑さと闘いつつ見るというそういう気分が体に染み込んでいる。
その上、どーせ、ちいさい花火だしな、とかいう後ろ向きなキモチが過る。

水辺のかなり近くまでアプローチ。
でも、人混みの中に入り込むまでのヤル気は沸いて来なかった。

そして花火。

N市の花火に比べたら、サイズとしてはとっても小さいけど、
かなりの至近距離で上がってくるので、
最後はなかなかの迫力だった。特に音が。

肌寒くて、秋祭りの花火という感じだったけど、
いい具合に風が吹いていて、煙がうまく流れて、
花火の火が鮮やかに映えた。

これまで何度、花火を見ただろう。
これから何度、花火を見るだろう。

花火というものは、いつも心の奥にまっすぐ入り込んで、
遠い記憶と、その向こう側の両端をこちょこちょする。
それはきっと、このどこまでもピュアな光が、人間の魂に似ているからだ。

ちょこっと感動。帰り道も寒い。

市民という職業

こんな映画見た。

Unreasonable Man [DVD] [Import]

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アメリカの社会運動家ラルフ・ネーダーのドキュメンタリー。この人、2000年と2004年のアメリカ大統領選挙に立候補して、民主党の票を食っちゃったことで、結果的にはブッシュ政権の誕生と継続をもたらしたとして、賛否両論ある人物なのだけれど、この大統領選挙の一件はともあれ、自動車の安全性の向上や食品の安全性など、消費者の立場で1960年代から闘い続けて来た強者。この人のおかげで、今のアメリカの消費者の権利が確立された、と言ってもいいほどの功績がある。

なぜこのドキュメンタリーを今見たいと思ったかというと、
日本の原発再稼働反対デモのことなどをずっと考えていて、
市民は権力に対して、一体何ができるのだろうか、
それが気になっていたからだ。
ここのところの大手メディアの報道(あるいは「報道されない」という事実)、
インターネット・メディアの報道などを見ていると、
「義憤」とすら名付けて良さそうな怒りが、
むくむくと沸き上がって来て、どうしようもない。
でも、自分に何ができるのか、それもよく分からない。

分からない時は、先人に学べ。そう思って、このドキュメンタリーを見た。

この映画の中には、市民に何ができるのか、そのヒントがたくさん散りばめられている。(決して信念を曲げない優れたリーダーというものが、それには不可欠であるということも)

その中で、あっ。と耳に残った二つの言葉。

一つ目は、ラルフが子供の頃の父の言葉。
学校からラルフが帰って来ると、父はいつも尋ねたそうだ。
「おまえは今日、学校で<believe = 信じる>ことを学んで来たのかい、それとも<think = 考える>ことを学んで来たのかい」

二つ目は、ラルフの言葉。
「市民は職業である」

私は日本の学校で、<考える>ことを果たして学んだのだろうか。<信じる>ことばかりを学んでいたような気がする。そして、私は今まで市民という自分の立場に誇りと責任を持って、その職責をきちんと果たして来たのだろうか。

世界の見え方が、変わって来た。

人の心の沁み入る間

最近、続けて観て、好きになった監督、イ・チャンドン

まずこれを観た。

それから、これも観た。

どちらも、画面が呼吸している。
感情が言葉ではなくて、映像そのものに宿る。
とても悲しいようでもあり、でも密かな喜びがあり、
それでやっぱりいとおしく切ない。
映像も音楽も控えめだけれど、だからこそ、そこに人の心の沁み入る間がある。

こういう視線で世界を見ている人がいるっていう、
それだけで優しい気持ちになる、
そんな映画。

散歩。長い散歩。

朝起きて、まず散歩に出た。
ここのところ、散歩が日課になった。
今日は橋を渡り、水辺をぐるりと回った。
途中、小ガモ目撃。
まだちっこいのもいるけど、かなり大きくなってるのもいる。
水面にパチパチといる虫やら水藻やらをしきりにへらべったい口で掬っている。
犬もいた。
杖のおばあさんもいた。
ランニング途中の人に追い越された。

夜、また散歩。
今度は街の逆の方向にゆく。
途中、雨が降って来た。
春雨、という季節ではないけれど、まあ今日は濡れて行こう。
雨の降り始めた街は、懐かしい匂いがした。

ラッコと雑談しながら、どんどん歩く。
特に何もしてないけど、
ただ歩いているだけだけど、
こんな時間が一番幸せなのかもしれないな、
とかね。