旅のおわり・旅のはじまり

9月末にVを後にしてから、
いろいろなことがあった。
Vから、次の街NYまで車で走破。
なんでも、寝ずに行けばたったの55時間なんだそうだ。
もちろんこれは、運転手の数が揃って、車が途中で空中解体/煙を吹くなんてことにならなければの話。
実際には一週間くらいかかった。
USAという国は、なんとまあだだっ広いことか。
飽きれて口が数日閉まらなくなったくらいだ。

さて。度肝を抜かれ、お尻が十分痛くなって到着した、
その数日後には
飛行機でひとっ飛び。
気づけば故郷Nの川っぺたに立っていた。
こういう神をも恐れぬ空間移動が可能になったとはいえ、
ここにいるのは、身一つ、
昔と同じ、ぽつんとした人間の形が一つ。
その影法師のような形のまんまで、
目的もなく街中を歩き回ったりした。



今回はちょっと時間があったので、
16年間手つかずだった荷物・書類などを整理した。
16年前に、ちょっと1年くらい外国に行くと言って出てから、
チっとも帰ってこなかった間に、
普通の手紙や書類や、名刺であったはずのものが、
「玉手箱」に変わっていて、
開けたらやっぱり、
ざわざわと、内側の方が大変なことになった。

ともあれ、Vでの時間には一つの「。」が打たれ、
この長いあれこれの綴り書きも、ひとまずこれにて「。」

次にまたVの水辺に立つ日がいつか分からないけれど、
ぬるりとしたアザラシの頭たちよ、
私は君たちのぬるぬると楽しそうな視線を忘れない。
君は忘れた頃に、思いも寄らぬ場所にぬるっと出て、
ずっと追っていたい私たちの眼を置いてけぼりにして、
フイとまた水の中へと消えてしまうのだ。



そして、君がまたぬるりと出現するまで、
私たちはずっとずっと、
ただ揺れている水面を、
眺めている。

時の流れ

この街で12歳くらいの時から知っている男の子が働いている、
スパゲティ屋にでかける。
レトロ風にしているファミレスみたいな所だ。
ステンドグラスはなんだか教会みたいだし、
そこかしこにこれでもかとアンティークの雑貨、
店の中に路面電車がドカンと置いてあって、目の落ち着く暇もない。
若者が初デートで向き合い、
家族連れは大きな卓を囲み、
さっきからもう3度もハッピーバースデーの歌が聞こえ、
ナルコレプシーの女が、テーブルで眠る、
そんな店だ。
彼はもうすぐ19歳になる。

青白く、不安げに、細く立ち尽くしていた少年は、
いつのまにか、細いままで青年になり、
お洒落に長めの前髪を流して、
きびきびとテーブルを調えている。

私がVでなにをしたのか、
大したことは思い出せないが、
彼は確かに、成長した。
時は流れる。

柔らかすぎるパスタと、
甘すぎるアイスクリームを平らげながら、
その、美しく育っていくものの姿を、
どこか遠くから眺めるように、眺めていた。

永遠のゲラゲラ

ごく近しい数人が集まって、
お別れというのだからやたら湿っぽい雰囲気にでもなるのだろうか、
と思っていたら、
終始みな、ゲラゲラと笑ってばかりいた。
酒すらなくて。
なんと幸せだろう。
涙ではなくて、笑いで別れることができるのだから。
ぽっかりと温かな浮遊感に包まれた、美しい宵。
永遠のゲラゲラ。

中有の蛇口

住み慣れた家を出て、Vのダウンタウンで仮住まい中。
とはいえ、元の家から車で3分くらいの距離。
同じ街の中なのに、住む場所が違うとここまで街の見え方が違うのかと驚いた。
仮住まいの家で、はじめてシャワーを浴びた時に、
蛇口の仕組みがよくわからなくて、ひゃっと冷たい水が出たり、
急に熱くなったり、
びくびく、どきどき、
それでも、そのうち大体の仕組みが分かって来て、
今は適温ぬるま湯に落ち着いた。
街も同じように、出会った時には何をどうしたらいいのかわからなくて、
どきどき、ひやひや、
それがいつの間にか、目をつぶっていても蛇口から適温を出せるようになり、
何も感じなくなっていった。
ほんの少し、移動してみただけで、また街が新しい顔を見せてくれている。

カットアウトではなくて、
フェードアウトな感じの今回の引っ越し。
まだここにいるのに、もうここにはいない、のかもしれない。
今はまさに中有という位置にいる。
変な感覚だよ。

荷物をまとめて

今夜はこの家での最後の夜。
さぞノスタルジックな気分に押し流されるのだろうかと予想していたら、
一日中荷造りに追われて、それどころではなかった。
いつも、こう。
準備ができてないおかげで、感慨にふける暇もない。
頭、真っ白。
住み慣れたいくつかの場所を離れた時にも、全部そうだった。
もしかしたら、無意識のうちに準備を引き延ばして、
別れの情の水脈が眼の中に流れ込んできたり、
胸の深いところを夕焼け色に滲ませたりして、
どうにもとどめなくなってしまわないようにする、という秘密の作戦の成果なのかもしれない。
とはいえ、昨日、一心不乱に箱詰め作業をしていたら、
ふと、
ほんの3分くらい、熱いものがのぼってきて、
ちょっと泣くのかなという感じにもなった。
それは、悲しいというのではぜんぜんなくて、
感謝だった。
たくさんの、言い尽くせない温かな出会いがこの街=Vではあって、
そんな美しい人たちに巡りあうことのできたことの幸福、
その全てへの感謝が、熱く柔らかくのぼってきた。

青い月の宵

なんでも今夜の月はブルームーンだそうで、天気も最高だし、ラッコを誘って月見の散歩にでも出掛けようかという午後8時半。まだ外は明るいVの街。
この街を後にする日が近づいている。
これまで、何度も、知らない街に着陸して、
またある日そこを離れて、次の知らない街に飛び立った。
もちろん、着陸と離陸の間は、いろんな出来事が挟まっている。
いろんな人の顔と、いろんな時間が、そこに浮かんでいる。

ここになだれこむと、センチメンタルの海に流されてしまうので、
本日はこのくらいにして、散歩に出よう。
青い月が待っている。幸せな宵だ。

一つ、長年のコンプレックスが解消されようとしている。
自動車の運転ができるようになった。
しかもマニュアル車で。
これで、あの月に行って車で反対側まで走って来ること、
などというミッションを突然課されても、
恐れることはない。

またセンチメンタルの帳が降りて来そうな話題だけれど、
離陸に備えて、
荷造りをしている。
正確に言うと、荷造りの準備をしている。
とにかく荷物を減らしたいというその一心で、
こんな本を買ってみた。
これ、かなり効く。
おかげでここ10年くらい捨てられなかった紙の束などを、
なんの未練もなく捨てることができた。
身軽になって、爽やかに飛んで行きたい。

Clear Your Clutter with Feng Shui

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(日本語版もあるらしいので、人生の澱を捨てかねている人には、おすすめ)