街角携書

最近、あまり本を読んでいない。映画もあんまり観ていない。ここ2週間程は夜は演劇三昧で、体も鍛えなきゃいけないし、昼間はあれこれと雑事に追われて、ゆっくり書物を開く時間がない。

全く忙しくなかった時には、どうしてこんなに暇なんだろうと世界を恨み、忙しくなればなったで、今度は忙しいことを恨んだりする。今だって、恐ろしく忙しいわけではなくて、ほどほどに忙しいくらいなのだけれど、それでももうアタフタとして、なんだか全てにおいて落ち着かなくなってきている。

今振返って思えば、非常に忙しい時期、冬眠、冬眠から覚めてもじもじしてる時期、種を蒔く時期、それがぽつぽつと花咲く頃、などなど、いろんな時間の有り様を旅してこれたことは、それなりに良かったようにも思う。冬眠していた時には、なんだか心細くて、もうこのまま目が覚めないんじゃないだろうかと不安に押しつぶされそうになったり、もじもじした時間がやたらに長く引き延ばされて曇り空に八つ当たりしてみたり等々あったわけだけれど、その頃には本を読む時間は無限にあって、実際にさまざまな本を貪る如く読んだりもできたわけだから、時間というのは、やっぱり誰にも平等に与えられているに違いない。

中どころの忙しさにも、少しは体が慣れてきたようなので、ぼちぼちまた本を携帯してあちこちでパラパラ広げてみるつもりだ。携帯するものと言えば今やケータイ及びなんたらフォン、なんたらベリーなどというものが主流である今時には、『書を捨てよ、街に出よう』というのではなくて、「書を持って街に出よう」となっても良さそうな気がする。いづれまたさよならしなければならない街角のカフェで、ちょっとした曇り空なんかを斜めに見上げながら書をめくる時間というのは、生きている寂しさと楽しさがラテアート風に泡と泡の中で混じりあって、心の奥に柔らかく深く刻印されるものであるらしいから。

書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)

書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)

☆ 寺山を携えてゆく春の町