剣の達人

今日、剣の達人に出会った。
Vで剣の達人とはいかなる剣? フェンシングか何かですかと聞かれそうだが、日本の武道の剣である。
私も正直、驚いた。Vにここまでの達人がいたとは!
F犬街の剣道クラブにかつて在籍していたことがあるので、海外で剣道というのは慣れてたつもりなのだけれど、ほぼ10年振りにその感じを味わってみると、やっぱりぐらぐら頭の中の空間が歪んだ。

昔は
「私は今F犬街にいる。そして剣道の稽古をやっている。ん? 私は誰。ここはどこ?」
そして、今日は
「私は今Vにいる、目の前で清々しい剣士達が激しい稽古をしてる。ん? 私は誰。ここはどこ?」

F犬街でも、たまたま日本から教えに来ていた剣聖・中倉清先生というものすごい達人の稽古に多くのベルギー人に混じって参加させてもらったことがあって、その時の不思議な感じというのは今でも忘れられない。

日本では、日本的なものがどこにでもあるので、気づかないのだけれど、海の外でいきなり居合なんていうものを見てしまったら、そこに収斂している日本の美学と日本的精神の冷えた鋭い刃にスパっと身を切られて、うっかりしていると自分が誰であるか分からないくらいにバラバラになってしまうのだ。日本人というものの、研ぎすまされた一つの姿がそこにあって、思わず息を呑む。

稽古が終った後、Vの剣の達人が言った言葉は、遠い昔、東京のお能の達人の言った言葉を思い出させた。剣の達人は、剣の難しさを「熱いものを内に持ちながら、どこか醒めて冷静でなくてはならない」という相容れない二つの要素を併せ持たねばならぬことにあると言った。能の達人は「お能は、常にアクセルを踏みながら、ブレーキを踏んでいるみたいなものです」と言った。

パフォーマンスも、これと同じだ。と思った。
自分の中の、二つの要素のバランスをどう取って行くか。
達人というのは、いつも一番根元のところにある真実を教えてくれる。

☆ 少女らの胴は赤なり初稽古