クレープの過不足

朝、友より電話あり、昼食を共にする約束する。晴天。約束の場所まで歩いて行きたかったのだけれど、時間が少し足りない。オリンピックの時に走っていたトラムは撤去作業をやっていて、もう走っていないしね。仕方なくバスに乗ってゆく。街はもうすっかり昔の、暢気なVだ。

友人とあれこれ迷った末にクレープやに入る。クレープというのは不思議なもので、おやつに食べると少し重いようでもあり、でも、ランチに食べるとなんだこれで終わり? というあっけなさがあって、一体いつどういう時に食べたらぴったり来るのかよく分からない。ずっと昔、フランスのどっかの街で(パリの片隅だったかもしれない)屋台のクレープやのレモンと砂糖だけがかかったようなクレープを食べたことがあったけれど、独りぼっちで彷徨っている最中だったからか、やたらにお腹が空いていたからか、カタコトのフランス語でようやっと意を決して注文したからか、やたらと心に沁みる味で、しかもその軽さ甘さ温かさが、無性にその場所その時間その自分にぴったり来た記憶がある。たぶん、原宿のクリームとバナナチョコが大幅にはみ出てるようなやつも一度くらいは食べた事がある。これまた更に神話時代の出来事であるけれど、あの頃は東京という街とどうやったら仲良くなれるのかが分からなくて、途方に暮れて街をうろついているだけのおのぼりさんであった。今はおのぼりさんじゃないのだろうか。いや、今だってやっぱりおのぼりさんだよな。飛行機で飛んで行くからおのぼりさんじゃなくて、空から落っこちて来る「未確認飛来人物」という感じだけどね。

Vで食べるクレープには神話時代のうら悲しいような気分もフランスの深く寂しく凛と沁みるような風情もないので、ただのクレープとなり、その結果、なんだか物足りないようなあっけらかんとオブジェむき出しのような感覚だけが残るのだけれど、それは結構毎日がなんということもなく過ぎてい行く幸せというものの形であり一口なのかもしれないのだから、不必要な余情は追求しないことにしよう。

帰り道は歩いて戻った。やっぱりとても天気がよくて、人間がたくさん地上を歩いていた。ホと見たら、何か落ちていたよ。木の根本に。

☆ 暮れ行くや たんぽぽの束 残されて