ひつじに涙

クリスマスイブなのに、なぜかインド料理店でディナー。これは、昨年やってみて、楽しかったので今年もやってみた。七面鳥だとかハムだとかっていう、いかにもなクリスマスディナーじゃなくて、ちょっとズレてるところが楽しい。しかもこのお店はグルメ店でも有名店なんでもない、ちょっと町外れにある小さなお店。ただ、オーナーらしきインド人のおじさんの接客が完璧(声のトーン、身のこなし、その全て)で、照明がちょっと暗めで落ち着くのがいい。食器もちゃんとしていて、フォークなんて持ち上がらないくらい重いのだ。

クリスマスプレゼントを開けたりしながら夜11時過ぎとなり、クリスマスイブの深夜ミサとやらに出動してみる。宗教もシチュエーションも違うけど、なんとなく大晦日に二年参りに神社に出掛ける感じと似ている。深夜の教会の空気はシンとしていて、同時にほっかりと温かい。

キリスト教の儀式はよくわからないので、そのへんはそっと沈黙。歌を歌うところだけは控えめな大声で参加。音楽は国境も宗教も、全てを軽々と超越。聖歌隊にすごい美声の人一名と、すばらしいトランペットが入っていて、なかなか素敵。

と、最初はそんな感じで、少し距離を持ってこのクリスマスの儀式を眺めていた。思えば、キリスト教ではクリスマスというのはイエス・キリストの誕生日なわけだ。日本にいた時には、そんなことあんまり考えずに、何やら太っ腹なおじさんが北の方からやってきてプレゼントをくれる日、くらいに思ってたけどね。

歌ったり、立ったり座ったり、何やら唱えたり、跪いたりしているうちに、神父さんのお話になったのだけど、この神父さん話がめちゃくちゃ上手い。オバマ並み。気がついたら、あんまりいい話なんで思わず涙が出そうになってた。クリスマスギフトってのは、箱に入ってるだけじゃないっていう話。もっと大きなギフトをみんなが持ってる。で、そいつを世界に向けて開くと、ますます大きなギフトになってそこら中を駆け巡るってわけだ。ま、こうやって書いてみるとよくある話のようでもあるけど、クリスマスイブの夜に聞くと、じんと来た。

それから、ミサが終るまでに三度くらい、なんだかうるうるっとして、涙が零れそうになった。何しろ、クリスマスの教会にはひつじが一杯いるのだ。小さなひつじにも小さなギフト。小さな笑顔、小さな声でも、世界の誰かを幸せにできるかもしれないって、ひつじが呟いた。

☆ 空仰ぐ羊小さし降誕祭