トンカツと涙腺の関係

ヒレカツ定食の、柔らかい肉を頬張りながら、なにとなく涙が零れそうになった。
日本に帰る度に、この神田駅前のトンカツ屋さんに行くのが楽しみだった。両国で公演していた時に、偶然に入ったお店だったのだけれど、地上の雑踏が嘘のように静かな地下の隠れ家のようなお店で、マスターが丁寧にトンカツを揚げ、おばさんが揚げたてのトンカツをキャベツの上にさっと乗せて運んで来る。高級でもグルメでもないかもしれないけれど、人間の手と心の作った味がする店で、いつ食べても美味しく、ホっとした。

東京には、帰る所がもうない私なのだけれど、このとんかつ屋さんを勝手に自分の東京での居場所と思っていた。

そのお店が、もうすぐ閉まる。不景気の中での安売り競争で、質を落とさずにやっていくと、商売が成り立たない。質を落としてまではやっていきたくないから、自主的に閉めるのだそうだ。

ヒレカツを口一杯にしながら零れそうになった涙は、この一つの場所のためだけにこみ上げたのではなかった。心あるもの、美しいもの、暖かいもの、しみじみと懐かしいもの、きっぱりとすがすがしいもの、小さくて、でも、輝いているもの。そうしたものたちが、消えていってしまうことが、悲しくて、それで胸がぐっと詰まって、危うく涙の一粒が零れそうになったのだ。

どうするニッポン。守るつもりがなければ、小さな光はどんどん消えて、世界は暗くなる。

☆ 秋の日や馴染みの店に客二人