世界と葛藤

友達が一足遅れた誕生日会をやってくれるというので、お昼頃に出掛ける。待ち合わせの場所はVでも特にヨーロッパからの移民が多いとかいう地域で、イタリアンカフェなんかに昼間からおじさん達が溜まっている。カフェのTVモニターに映し出されているのは、アイスホッケーならぬサッカー。ヨーロッパはベースボールでもないし、バスケットボールでもない。サッカーなのだ。

イタリアンベーカリーの外に置かれた椅子に座って、焼きたてパンを食べ、友達が買ってくれたバースデーショートケーキをつついていたら、隣りに座っていたオジサン二人がいきなり喧嘩しはじめて驚いた。「タバコ吸うなよ!」「うるせえー」「タバコは他の人から6メートル離れたところじゃないと吸えないって法律で決まってるんだぞ!」「ぐだぐだ言うな、だったらお前がものさしで測ってみろってんだ」「うえい、どうでもいいから、タバコ捨てろって」「てやんでえ」とかなんとか。思わず目が・・になってしまった。私もタバコは苦手だが、喧嘩も苦手だ。結局、タバコおじさんは捨て台詞を残して去って行った。結果的には、タバコの煙に煩わされることなくケーキを食べ終えることができて助かったのだけれど、人と人とが怒鳴り合うエネルギーというのは、当の本人ではなくて、たまたまそのとばっちりを三滴くらい受けただけの場合でも、ちょっと内側に影を残す。

ただし、これは世界には必要な影なのであるらしく、皆がみんな、そうですね、どうぞどうぞ、あらごめんなさい、すみません、などという訳にはいかない風にできているので、こういうちょっとした葛藤は必要なものであるらしい。よって、このような影でいちいち傷ついているわけにもいかず、でも、友達は、どうやら少し傷ついてしまったようで、その証拠が眉間に少し寄せられた皺に表れていた。おじさんたちも、やっぱり何かざらざらしたものを感じたのかな、それとも、毎日のことだから、別にどうとも感じなかったのかな、なんてちょっと考えた。

☆ 喧嘩をば眺めているや蝸牛