祈り

最近ちょい凝っている鍼治療に出掛けたら、中国系の女医の先生が「今日は、中国系カナダ人の間では、とってもスペシャルな日なのよ」と教えてくれた。今日祈ると、願い事が叶うんだって。どうやら仏教系の話らしく、これからその祈りの一ヵ月が始まる、その最初の日なのだそうだ。一ヵ月の間、祈ると良いらしいのだけど、特に本日が良いらしい。

先生は、本当は郊外にあるお寺にお参りにいく予定だったらしいのだけれど、患者さんのスケジュール変更があって行けなくなったので、知り合いに自分の分までお祈りしてきて、と頼んじゃった、と笑った。

わー、そんな日なら、私もお祈りしなくちゃ、と煩悩まんまんで何を祈ろうか、何をお願いしようかと考えていたのだけれど、先生の一言を聞いて、眼からポロリと鱗が落ち、そして我我我ばかりが先立つこの心が小さくポツンと見えた。先生は、何をするにもベストが尽くせるように、そうやって自分がやるべきベストな仕事ができるように、と祈るんだそうだ。その言葉の裏側では自分というものよりも、人のために生きているという潔い確信のようなものがチリンチリンといい音を立てていた。この先生の施術が技術力の高さだけではなく、まごころとでも呼びたくなるような誠実さと熱意に満ちて心地よい理由が分かったような気がした。

朝降っていた雨が、夕方に上がり、透明な夕暮れ。
花屋で深紅の芍薬と暢気なピンクのガーベラ、淡い紫のフリージアという三人娘を選び、その瑞々しい美女達を家に連れ帰り、蝋燭を灯して西に向って。祈った。
この芍薬は、本当にものすごく大きく開くのよ、ほんとに、すごく大きいの。ほんとだよー。という花屋さんの声がまだ耳の中に聞こえているうちに、芍薬の莟はもう花弁を開きはじめた。美しいことを、今日は、祈った。

芍薬の祈りの中で開きけり