あそこにいない私

友達から朝電話が来て、フラメンコのチケットがあるから行かないかと誘われた。フラメンコ...。と一瞬ひるんだけれど、初夏の午後にフラメンコなんてのもいかにも非日常な感じで意外だったので、楽しいかもしれない、と、作業を中断しててくてく出掛けた。

カンドーした。踊る女のエネルギーって凄い。少女でも小娘でもなく「女」。カワイイなんて言われて喜んでいちゃいけないぞ。怖い程の情熱の噴出。ここまで感情的な身体表現というのも、あるようで、意外とないのではないかしら。女は微笑み、女は回転し、女は睨みつけ、女は眼をつぶる。

このダンス作品自体が、カンパニーの主宰者である女性の自伝的なもので、構成自体は結構淡々と進むのだけれど若手が全て踊った後に、大御所の彼女が登場して来た時には、身震いするような迫力あり。メキシコからヨーロッパを経て、Vにやってきた一人の女の物語。彼女がVに来た理由は「男」であった。パッション!

とはいえ、そこでカルメンの如き悲劇が起こったわけではなくて、その男性は今のご主人兼ギタリスト。子供にも恵まれて、幸せにVの住人となった人なのだけれど、それでも、最後にこんなナレーションが入って、彼女の目は完全に潤んでいて、そして、こちらにもその感情が流れて来て、貰い泣きした。

「生まれ故郷を去った人の中では、何かが壊れてしまうの。それは二度と、元に戻らない。再びその場所に戻っても、その場所はもう同じじゃない。妹達は毎週火曜日に集まってカフェで一緒にお茶を飲む。でも、たった一人、私だけはそこにいない」

祖国を離れるということは、そういうことなのだ。永遠に、あの場所には、戻れないのだ。
そんなことを、いつも考えていたみたいなのだけれど、誰もここまではっきりとは言ってくれなかったのだ。
その真っ直ぐな視線に貫かれながら、心の底の底の闇を見つめるように俯く顎の線を追いながら、
私も同じ踊りを踊っているみたいに心が動いたのは、それが紛れもない真実の欠片だったからだと思う。

☆ 踊り子の涙の中の踊り子や