遠さということ

久しぶりに雨。ここ数日、ほとんど人に会わずにラボに籠っている。世界を見るのはテレビの窓くらい。
そんなことを言っている間に家の前で工事が始まって、遂にVでも指折りの素敵な景色と勝手に決めている我が(本当の)窓のビューも、今年限りということになりそうな気配。

世界は噴火騒動で大変なことになっている。友人がパリで缶詰にされている模様。
こんな時、ああ、やっぱり世界は広かった、と感嘆する。
飛行機が飛べなくなったら、私はVで缶詰にされてしまう。
お財布にお金さえあれば、いつでも帰れるもんね、などと思っているのは実は甘いのだ。
その昔、故郷NからVなどという地の果てまで移動するなどということは、誰の想像にも及ばなかったのだ。
その意味でとても「現代的」な人生を送っているとも言えるのだけれど、現代的であることは、停電したり、自然の力に直面したりすると、とっても弱い。
こんな時、ああ、Nまでとにかく自分の足で帰れる場所で人生を送ればよかった、などと思う。
本当に遠いところまで来てしまったのだなあ、とこんな日はしみじみと思うのだ。

☆ 春愁や葉書一葉投じたり