小さき人々の領域

近くに最近できた図書館の分館に出掛ける。ここはV中央図書館と違ってとても小さい。仕事をしようと思って出掛けたのだけれど、やたらと大人は混雑しており、結局座る場所が見つからず、幼児向けの本が置いてある一角のソファに空きを見つけて膝の上にパソコンをパカっと広げてみた。

赤ん坊を乗せた乳母車が次々とやってきて、それぞれ10分くらい絵本を読んでまた去って行く。赤ん坊は本を眺めたり、本を投げたり、ミルクを飲んだり、クッキーの一欠片をしゃぶったりと忙しい。お母さんは「ほらほら、面白いわねー、こんなワンちゃんが、ここにいるよー」とかなんとか、子供の興味を引こうと絵本を広げるのだけれど、当の子供の方は全く別の絵本をはぐっていたかと思うと、突然立ち上がって、ダダダダっと向うに駆けて行って、本棚から本を取り出しては床に投げ捨てる作業に取りかかる。

その男の子(赤ちゃん、というよりは少し大きい。自分でテクテク歩くのだから)の目線が、あんまり上の空なので、暫く観察していると、お母さんが床に投げ出した本の片付けをしている間に、こっそり私と目が合った。こんなに小さな人間なのに、目が合った瞬間に温かい流れのようなものがこっちに入って来て、たぶん私も微笑みを通して向うにそういう温かい一筋のものを流し込んでいるらしく、「交流」と名付けられそうな一瞬が起こったのが面白かった。さっきまで上の空だった男の子の目がいたずらっぽく輝いて、お母さんが彼を乳母車に乗せて去って行く時まで、チカッ、チカッと3回くらい、私と彼との間のその「交流」は起こって、私はこちらに届いたキラキラしたものを鼻の頭に乗せたまま、しばらくぽわんとしていた。

それから歳の違う2人の女の子を連れたお父さんとお母さんがやってきて、女の子達はDVDを選んでいた。選んでいるというよりは、あてずっぽうに適当なのを引っ張り出しているように見えたけれど。背の低い下の子のために、お父さんはしゃがんだ自分の太ももの辺りに女の子を靴のまま立たせて、上の棚に手が届くようにした。女の子はとても華奢なので重いということはないのだけれど、ああ、お父さんのズボンが汚れるなあ、これが日本だったら「靴のままで洋服の上に乗っちゃだめよ」とかいう教育がなされるのかなあ、ああ、あっちでも男の子が本を踏んづけてるなあ、などとちょっと道徳的なことを考えたりしていると、さっきまでお父さんの上に乗っかっていた女の子がものすごく注意深く、私の方に(正確には私のパソコンの方に)向って来ているのに気づいた。女の子は物珍しそうにパソコンを眺め、私の顔を眺め、それからパソコンの裏側をじっと見て、またお父さんの方に戻って行った。彼女がじっと見ていたパソコンの裏側の中心に光っていたのは、Macのリンゴマーク。なるほど。

小さい人間は面白い。小さいけれど、完璧に人間の形をした人間であって、そして人間の一番中心のところで生きている。
私は子供コーナーに侵入したインベーダーだったのだけれど、大人コーナーよりも、子供コーナーの方が居心地がいいので、背中をちょっとかがめて、またそっと侵入してしまうかも知れないなあ。

☆ 春昼や 母の渡せし びすけっと