ラテンな夜

雨。と思っていたら、夕刻ものすごい稲光。5分おきくらいに、街と同じくらいの巨大なカメラのフラッシュならさもありなんという閃光が続いて、それからVには珍しい集中豪雨。じくじくと雨を降らせていた天にとうとう穴があいて、水分噴出。こういう方が潔くてよろしい。

稲光のビカビカにしかし、めげているわけにはいかない。今日は友人宅のディナーに招待されているのだ。低温でじっくり焼き上げた大量の豚肉が供されるという。BBQの一種であるプールドポークと呼ばれる料理である。このディナーに集う家族はメキシコ人およびキューバ人。おうちの奥さんはイランの人だけれど、全体的にはやはりスペイン語的な発音の英語が高速で飛び交うラテンな夜なのであった。到着していきなり注がれるテキーラ。ガツンと音がして日常のつまらない壁が割れ落ちて、楽しい夜が始まっていた。

パーティーというものがとても苦手な方なのだけれど、本日の宵はグループの人数が少なかったことにより、苦手感よりも楽しい感の方が強かった。1人、2人はかなり得意で、どうやら5人くらいまでならば楽しい感が苦手感を上回るらしいことが確認された。要するに「群衆」が苦手なんだよな。ちょっと想像してみる。7人はどうだろう。10人は。10人くらいまでならなんとかなりそうな気もする。15人は? うーん、ちょっとキツいかも。中に知ってる人が混じっていればなんとかなるかも。20人は? そのくらいになると、苦手感が楽しい感を完全に上回りそう。100人は? だめだ。想像しただけでもう出掛けたくない。でも、100人が5人の塊の20個分だと思えば、また楽しい感が戻って来そうな気もする。いつか私もパーティー好きになるのだろうか。どうかな。

夜が更けるにつれて、楽しい感がどんどん高まって行った理由の一つは、キューバ人家族の娘ギャビちゃんが面白いから。8歳くらいかな。遊び道具を持って来るのを忘れたのだけれど、紙とペンで黙々とお絵描きしている。彼女はその年齢の女の子なら世界のどこでも描くような、目の中に星の入った人物を描いているのだけれど、おお、やっぱり国地域によって目の形って違うんだな。彼女は目を完全なまんまるに描いて、その中に小さな○を二つ入れて、それ以外の場所を塗りつぶすという方式で、キラキラ目を作っている。絵が上手い。

ちょっと退屈しているみたいだったので、日本伝来「福笑い」を即席で作って一緒に遊ぶ。言葉はいらない。ギャビちゃんはすぐに遊び方を了解して、おなじみの「薄目」などでズルなどしながら、楽しそうに遊んでいる。

それからもう一つ、紙を3っつに折って、鋏でパチパチと切れ目を入れて、一番上の欄には顔、真ん中の欄には胴体、一番したの欄には足を描いて、紙をペラペラとめくって組み合わせての「びっくり着せ替え人形」の作り方も伝授してみる。またしてもギャビちゃんは、素早く了解。「うーん、うーん」なんてくりくりの天然パーマの素敵な頭をさかんに傾げながら、どんな顔にするのか、どんな足にするのか考えては描き込んでいる。ここでなかなかユニークだなと思ったのは、ギャビちゃんはファッションの違いで3つの人物の差を描かずに、一人は普通の体、一人はものすごく太っている体、もう一人はものすごく痩せている人の体を描いたところ。

そこで「はっ」としたんだけど、キューバでは物資の供給が乏しく、お店に行ってもカラッボでなんにも買えないことが多いし、靴屋に行くと、同じ靴がダダっと並んでいて、バラエティなんて全然ない、なんていう話を丁度ギャビちゃんの父母から聞いたところだったので、そうか、もしかしたら、まだ彼女の頭の中には「ファッション」という感じがないのかもしれないな、と気づく。ギャビちゃんの両親は「ほらほら、胸もっとボインに描いて!」とかなんかすごい指示を娘に出している。「一体どういう親なんだか〜」と私が言うと「自分らラテンだし」という答えが返って来た。なるほど。

この「着せ替え人形」遊びは、私がギャビちゃんくらいの歳だった頃に、やっぱり同じように家族と一緒に親の知り合いの家に行って、でもよく知らない人たちだし、知らない家で変だし、大人は大人の話をしていて退屈だし、とポツンとしていた時に、その家のお姉さんがニコニコ教えてくれて、一緒に遊んだ遊びだった。やたら楽しかったのを覚えている。もうずっとずっとずっと昔のことなのに。

こういう遊びって、一度ちょこっと教えてもらうと一生忘れない。バリエーションはそれぞれの子が適当に考えて後から自分で作れるし。その昔、優しいお姉さんに伝授されたことを、取りあえず世界のどこかに伝えたので、なんだかホっとした。

プールドポークは柔らかく香ばしく、じゅわっと旨味が口に広がって、ラテンな夜は笑い声と共にゆっくりと更け、帰り道には雨が止んでいたのでした。