カボチャ祭りのことなど

街路樹が、色づいて来た。秋は確実に一歩一歩、時々三歩五歩と一段抜かしをしながら、深まってゆく。雨でVじゅうが濡れそぼる11月が来る前に、キャンプにでも行きたいけれど、もう既に夜の寒さは骨身に沁みる。冷え性の足には、家の中でもアウトドア用の分厚いソックスを履く。居ながらにしてキャンプ気分。そう、Vはなんというか、生活の全てが、どこかキャンプじみている街なのだ。

夏の洋服が欲しいなあ、と思っているうちにもう秋。そして、そんなことを言っているうちに、冬はもうすぐそばまでやってきている。ヒツジを履いてるようなブーツかなんかが欲しい。それから、炬燵があったら最高だな。設置する場所ないけど。冬は炬燵に蜜柑、落花生という懐かしの時は遠い彼方に去り、この地Vでは来週のサンクスギビングなる休日を皮切りとして、ハローウィン、クリスマス、ニューイヤーズ・イヴと催しが続いてゆく。サンクスギビングなるものが、一体何なのか、何度聞いてもすぐ忘れてしまう異邦人の私であるけれど、そこはえいやっとクリアして鶏の丸焼きなどを焼いてしまうつもりだ。郷に入っては郷に従え。ローマに行ったらローマ人の真似をしろ、のあの方式である。

ローウィンなんてのは、本当になんだかよく分からない。近所のパーティーグッズ屋には、もげた首だの、蜘蛛の巣だの、血だらけの斧だのなんだのがものすごく悪趣味にディスプレイされている。見ただけで「醜悪!」と目を背けたくなるこんなもんを祭りにして楽しんでいるというのが、なんだかよく分からないのだが、この季節になると病院の急患受付でさえハローウィンの飾りが施されていて、病気の人が踊るガイコツの図とか、吸血コウモリとか、死神だとかそんなの見て気分悪くなったりしないんだろうか、と変なところで心配になったりする。

あとはやっぱりカボチャのランタン。カボチャというと、ああ甘辛く煮付けると美味しいよな、と思ってしまうのだが、こっちでは頭をくりぬかれて牙つきのニヤっとした顔なんかを刻まれて、中に蝋燭を灯されてしまうというのがカボチャの運命。そして、このシーズンの定番料理はカボチャの煮付けではなくて、パンプキンパイである。所変わればカボチャの運命も変わる。

ローウィンには仮装して街に繰り出したりするわけだけれど、私は一度もそういったパーティーなどに誘われたことがない。なので、仮装もしたことがない。知人がいつか「これ、去年のハローウィンの衣装」と、写真を見せてくれたことがあったのだが、これが素晴しかった。彼はなんと、コーヒーの自販機に仮装していたのであった。ちゃんとボタンがついていて、紙コップを取り、お金を入れて(!)ボタンを押すと、熱いコーヒーが出て来るというものであった。彼は巨大な箱の中に自分で入り、首から「押すと出る給湯ポット」をぶら下げてたらしい。笑えるのは、このものすごい衣装を作り、装着していざパーティーに行こうとしたら、自販機がドアよりでかくて、外に出られなかったらしい。いや、すばらしい衣装だ。私も仮装するなら、このくらい徹底的に、しかも皆に喜ばれる衣装で出掛けたい、な。