溜息をつくロボット

晴天。朝から外出。午後友達とお茶。所狭しとお茶の缶の並ぶお茶専門店で、ピーチルイボスティーなる甘い香りのお茶を啜りながら、いや不景気だね、いや仕事がないね、いやオバマ大統領がノーベルもらったね、いやマイケル・ムーアの新作封切りになったね、などと雑談しばし。もうすぐ封切りの映画で一番期待してるのがモーリス・センダックの『Where the wild things are(かいじゅうたちのいるところ)』の実写版映画。絵本の映画化ってDr. Seussの『The Cat in the Hat』の実写版みたいに、ものすごく醜悪なものになりがちだし、ティム・バートンの最新作の『不思議の国のアリス』の実写版なんかの監督のエゴの臭みなのか予告編見ただけで吐き気がしそうだったのだけれど、『Where the...』は予告編見たところ、かいじゅうたちがなんだかモコモコした着ぐるみみたいなヤツらでカワイイし、監督は『マルコビッチの穴』のスパイク・ジョーンズだしってことで、いつもより期待高め。とはいえ、最近、期待しすぎてがっかりするパターンを繰り返しているので、あまり期待しないでふらっと観に行こう。あのモコモコしたヤツらが気になる。

スタジオに籠って仕事。またしてもマイクロな世界の作業なので、ものすごく肩が凝る。今日の作業は紙を正確に測って、カッターでその一部を四角く切り取るというものだったんだけれど、紙をカットするのって意外と難しい。力が入ると奇麗に切れない。そういえばV市のアートスクール卒の友人がいつか、「学校で最初に習ったのは、紙のカットの仕方だった」とか言っていたような気がする。その時は「ふーん」と聞き流していたのだけれど、今になって、紙を切るというだけのことでもきちんとやる技術を身につけるのは結構難しいということを痛感。力がどうも入り過ぎてしまう。焦ると曲がる、千切れる。なんだかこれまた禅の境地に近い。息を整えて、紙の呼吸に逆らわずにスっとナイフを動かす。目で見るよりも、指先で紙の目(繊維の立ち方)を感じる方が、どうもうまくいくようだ。少しずつ慣れて来る。思わず熱中していたら3時間くらいが過ぎていた。

夜、DVDで『銀河ヒッチハイク・ガイド』を観る。知人おすすめの一品。いや、笑ったー。爽快。この映画、今は昔の2005年頃? 丁度長い長い冬眠に入る入口の頃に映画館にかかっており、なんとなく気になっていたものの、冬眠へとなだれ込み落ち込んで行く運命の衰えに勝てず、当時の家から徒歩2分くらいのところに映画館があったにも関わらず、この映画に到達することができなかった。あの時、なんとか映画館まで這って行って、この映画を見ていたら、ひょっとしたら冬眠せずに済んだかもしれない。こいつを観ると、脳の牢獄の外側につるりと出ることができる、そんな映画。お気に入りは常に落ち込んでいるロボットのマーヴィン。こんなヤツが部屋の隅でいつも「あーあ」なんて溜息つきながら膝抱えて「ああ、世界って最低。でもこれから更にどんどん悪くなるに違いない」なんてどうしようもなく悲観的絶望的なことを呟いていたら、「いや、世の中そんなに捨てたもんでもないさ!」なんてつい励ましたくなって、なんだか逆にこっちが元気になりそうな気がする。大丈夫か、マーヴィン。元気か、マーヴィン。トントン、と肩を叩いて慰めてやりたくなる愛おしい野郎だ。あと、開閉時に溜息をつくドアも最高。その気持ち分かるぜ、って、なんだかやたら親しみを感じた。マーヴィンは、たぶんこの先ずっと、心の友。

The Hitchhiker's Guide to the Galaxy

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