読み寝実験

早起き。薄曇り。やや雨模様。
このグレーな天気のせいだか何だか知らないが、今日はやたらと眠い。本を2時間くらい読んでいると、もうどうしようもなく眠くなってくる。そこでしばし午睡。また起きて仕事を始めるのだが、また2時間くらいするとものすごく眠くなる。また午睡。そしてまた起きて仕事。この眠くなり方が、なんというかちょっと尋常ではない。脳が「ごめんなさい、もう駄目です」という感じでダウン。でも「あなた十分に勉強しました、今すぐ寝て下さい」という感じでもある。

なんでも脳というのは寝ている間に情報の整理をするらしいので(にわか脳学者風)、集中して仕事したり本読んだりした後にちょっと眠るというのは悪くないんじゃないかな(と、昼寝の言い訳)。そういえば、テキサスにドナルド・ジャッドの仕事場を見に行った時、どの部屋にも彼が自分でデザインしたというものすごくシンプルな寝椅子が設置されていたのを思い出す。やっぱり午睡というのは創造性に良いんじゃないか。というわけで、私がもし社長になったら会社には寝椅子を設置することにし、必ず「お昼ねタイム」を社員に課すこととしよう。うたた寝なんてさせないよ。もう、堂々とベッドで寝て頂きます。その代わり、午睡の後は気分もスッキリ。いいアイディア出してもらいますぜ。えっへへ。

とはいえ、私は社長になる予定もないし、なる気もないので、これは夢想の域を出ませぬ。

本日の二度目の午睡の前に四方田犬彦の『「かわいい」論』というのを読んでいたせいか、夢の中に四方田犬彦氏と映画評論家H氏が登場。非常に学術的な有り難い夢であった。特に四方田氏(実世界では会ったことも、声を聞いたこともないのだが)の声が私の寝ているベッドの左斜め1メートルくらいのところから、どうしようもないくらいのリアルさで凛々と響いて来るので、夢であることはなんとなく分かっていたのだけれど、体験としては現実よりももっと鮮やかでドキドキした。ともあれ、私はただ聞こえて来る弁舌に圧倒され、「読まなかったモロモロの本をこれから読んでも、間にあわないよな...」というような軽い後悔と、でもなぜか出窓のついた美しいヨーロッパ風のアパルトマンの真ん中にある深紅のベッドに寝ていて、窓から見える隣りの窓には暖炉の炎がチラチラと揺れているので、少し幸せで悲しくて、ああ遠い所に来たのだな、また新しい場所にやってきたのだな、とちょっと心が深とした。そのアパルトマンは、F犬街に居た頃のアパルトマンに似ているようでいて、全く似ていないのだった。アパルトマンには花柄の美しいカーテンが掛かっていて、家具付きの部屋なのだが「ああ、また私はこの部屋を自分の趣味に模様替えすることなく去って行くのかしら」と寂しくなり「もし変えられるとしても、私は自分の趣味なんてものを本当に持っているのかしら」なんていう強い感情が浮かんで来て、それが何なのか必死に思い出そうとしたりした。

それから金縛りに遭い、なかなか起きられなくて、しかも喉がカラカラに乾いて、そのままどんどんと眠りの奥に入って行ってしまいそうだった。夢の中でやたら美味しいアイスハーブティーを飲んだあたりでようやく目覚めに成功。グラスになみなみと水を注いで、一気に飲んだ。

と、読んだ本が夢にまで出た本日。四方田氏の本には「かわいい」ことや「ちいさい」ことの意味が分析されていて、それを読んでいるうちに、ああ、なんで自分がちっこいものが好きなのか、ちっこい世界をやってるのか、了解したような気がした。そういうわけで、氏の声はあんなに生々しく、トランペットの戦慄きのようにつやつやとメタリックに響いていたのだろう。読書+午睡。「読み寝」という新しい眠りを提案できるかも。これで夢が造成できる? ふふ、またそのうち人体実験してみようっと。

「かわいい」論 (ちくま新書)

「かわいい」論 (ちくま新書)