静かな湖面

トマト9号10号11号12号収穫。寒くなってきて、色づき始めるタイミングが変わった。実が小さいうちに赤くなりはじめる。どうやって決めてるのかな。日照時間なのか気温なのか。夜が来る時間なのか。それともトマトの樹自体の寿命と関係してるんだろうか。謎だ。

サラダミックスの双葉ちゃんたちに、3枚目の葉が出始めてるのを発見! ギザギザのものすごくちっこいのがでてるヤツあり。この葉の形状は水菜かも。葉はちっこいのだが、ぎざぎざはものすごく精密にできていて、清少納言なら「ぎざぎざの葉、すんごくちっこいのに精密にちょろと出たる、いとうつくし」とか言いそうなくらい猛烈にカワイイ。小さいのにものすごく精密にできているものってカンドーする。赤ちゃんの手とか。ミジンコの頭とか。

夏の間休んでいたヨガ再開。縮こまっていたスジや筋肉が気持ちよく引き伸ばされて、枯れ果て、引退宣言していた細胞が息を吹き返す。あんまり気持ちよくてシャバサナでまた寝そうになってしまった。最近かなり体をほっぽらかしておいて、不自然極まりない「らの字」「くの字」「のの字」で本を読んだりキーボードを叩いたりばかりしていたので、体がげんなり不満そうな毎日だったのだけれど、今日はそのせいかヤツはやたら嬉しそうにTシャツに着替え、ヨガパンツを履いて明るい午後の陽の中をすっ飛んで行ったのであった。このくらい体がやりたがるということは、やはりいろいろと良い事が起こっているのでしょう。こういう時には体に従うのが一番。コイツの方がワタシよりもよく私のことを知っている。

ヨガの先生L女史は、とてもステキな人だ。とても穏やかなオーラが出ている(んじゃないかな。見えないけど)。銀色が半分くらい混じったフワフワと長い髪を結んで笑うと、8歳の子供みたいな清らかな光が見える(見えてるのかしら、私)。年齢はよく分からない。30代ではないことはなんとなく想像されるが、40代、50代、あるいは105歳と言われても、そうですかと納得してしまうくらいに、エネルギーが一定している。彼女に会うと、穏やかな水面がいつもそこにある。穏やかな水面というのには年齢がないらしい。というわけで、私の先生はある意味不老不死である。

たぶん、センセーは老いて行くことも、ある日死ぬことも、全くじたばたせずに微笑んで受け入れるんだろうな。ヨガ恐るべし。私も鏡のように平らで穏やかな湖が欲しい。内側に。遠くまで晴れやかに続いている静かな湖。水平線の向う側まで柔らかな青い靄で覆われて、どんな時にも世界の本当の姿を静かに映す湖...を夢見るのだけれど、今のところ、私の湖(というよりは、水たまり)は台風の後の濁流が流れ込んだみたいに濁っていて、ちょっと雨が降ったり、ちょっと風が吹いたりすると、いちいち大荒れする。雨粒が時々「そこまで大騒ぎするかね? オレってそんなに大粒?」と苦笑いするくらいに、いちいち大荒れするのだ。はぁ、まだまだ修行は始まったばかりなんである。

ここのところ読書三昧でインプットインプットインプットの毎日だったので、そろそろアウトプットの時が来るかも。とはいえ、これまでの人生の読書量が圧倒的に少ないからか、いくら読んでも読み足りるという気分になかなかならぬ。テレビよりも本が面白いと真面目に思ったのは、なんだかこれが生まれてから初めてなような気がする。これまた書を読まずに街に出た因果の巡りか。