あっちの窓、こっちの窓

私はスマートフォンを持っていない。
以前は携帯も持ってなかった。
今持ってる携帯は、6年前くらいに買ったやつなので、
画面はやたらに小さくて、本体は空中分解寸前。
ティーちゃんのお遍路さんストラップがついている。
彼女もこの年月、人には言えないいろんな苦労があったのだろうなあ。かなり年季の入ったこのけなげなお遍路姿を見る度に泣ける。

基本的に、機能は電話をかける、電話を受ける、すごく短いSMSを受ける、すごく短いSMSを送る。これだけ。

インターネットにつなぐ方法もあるらしいが、つないでみたことがない。料金がやたらに高いし、画面が小さすぎるし。

というわけで、私の電話は全然スマートではなく、激しく時代遅れで、でも心細い程にシンプルである。

6年前くらいには、公衆電話を探して25セントをつっこみ、そこにぶら下がっているやたらに重くベトベトした受話器に向って叫んでいたのだから、これでももう信じられないくらい便利になっているわけだが。

周りを見ればスマホスマホスマホ、もう四方八方をスマホに包囲されている。そんな状況で、このレトロ電話をそっとバッグから取り出す度、電話が遠い目をして言うんだよ、「もうそろそろ老兵は去りましょうか」って。また泣ける。

この程度の電話でも、こいつを携帯した途端から、窓から外を見る時間が短くなったんだったっけ。

かつて、時間を持て余して、窓から世界をいつもぼんやりと眺めていた。今は携帯の小さな窓を見つめる。その窓はどうやら何かを映しているらしいのだけれど、すぐそこに確かにある窓の外は、あれ? 誰も見ていない。

(人間って、持て余すのだ。自分の存在自体を。限りなく。そして、それに耐えられない。だって考えちゃうじゃない、あんまり手持ち無沙汰だったら)

そこで、窓を見る。
今は窓を携帯する。

で、前よりつながってるの?

本当かしら。

一日は24時間しかなく、こちらの窓を見ている時にはあちらの窓はがらんどうなのだ。

なんていって、たぶんいつかスマートフォン、持つでしょう。はは。
でも、この窓の外の景色と引き換えにはしない。