下ノ畑ニ居リマス

震災復興イベント、無事終了。
雨の中、駆けつけて下さった皆様、本当にありがとうございました。

賢治の詩は不思議だ。
私は、もう棒読みのような感じでザクザクと読んだだけなのだけれど、
Vの小さなカフェが、読み始めた途端、突如として小さな学校に変容するのを感じた。
その学校は宇宙の果てに浮かんでいて、先生も生徒も、一緒になって音楽を演奏してみたり、ひまわりを育てたりしているような静かで温かい場所なのだ。

カフェの前の道には車がブーブーと行き来し、雨の中を少しうらぶれた人などが溜息をつきながら煙草を探して通過して行ったりしたのだけれど、カフェの中、賢治の言葉が響く場所はほかほかとしていて、そこからは「下ノ畑ニ降リマス」と言ったあの畑が、それ程遠くないらしかった。

このようにして、自分が居たい場所というのは、どこにいても(そこがとても寂しい、暗い場所であっても)選べる、ということを知ったのである。美しい詩の一編を携えていれば、いつでもどこでも温かく透明になれるしまた、下の畑にひょこっと降りていって辺りを見渡して深呼吸することもできるのである。すごい。

☆ 春燈や賢治の宇宙泳ぎたり