トマトは常に持ち歩け。

今夜も、演劇フェスティバルに出動。見過ぎだよね。
PuSh FestivalというVのフェスティバルは、純粋に演劇、映画、アート等と分類できないような公演が多いのが特徴なのだけれど、今夜の演目はいわゆる「パフォーマンス・アート」というのに限りなく近くて、Julie Andrée T. というモントリオールのアーティストが、ほぼ一時間くらいに渡り体を張って、舞台であれこれするというものだった。題名は『Rouge』ルージュ、つまり「赤」ってこと。

で、何をあれこれするのかと言うと、あれこれ次々と赤いオブジェを取り出しては、「これって何色?」「赤だよ」という問いと答えを英語で延々と繰り返す。「これ、何色だべえ?」「赤だっちゃ」「なにいろでえすうか」「あーか」「ぴぴぴぴぴ、これって何色ぴぴぴ(鳥の声色)」「ぴぴっ、アカッ、ピピピ」「ごでなじじろ?」「ガァーガ」みたいなノリで(勝手に翻訳)、問いと答えのニュアンスはいろいろと変わっていくし、赤に関する思いつくだけのイメージと感情(ロマンチック、セクシュアル、バイオレンス、ホーリー...)が提示されていって、最後には問いかけていたアーティスト自身が赤の中に呑み込まれていく・・・、とまあそんな感じのことが起こる。

しかも、やたらに同じ事が繰り返される。骨格模型の頭蓋骨から取り出した赤い実を延々食べ続けるとか、赤い毛糸をほぐしながら、どんどん声を張り上げていくとか。もちろん、ただ反復するのではなくて、少しずつ出来事の強度が増していく。やっている方もかなり大変だと思うのだが、観ている方も結構体力がいる。ちょこっと笑えることだけではなくて、いろいろと不愉快なことも舞台で起こるからだ。

そんなもの一時間も見て面白いんですか、ということになるのだが、これが案外面白い。最初は白い紙が敷かれていただけの舞台が、どんどん赤くなっていくのもゾクゾクする。照明も面白いし、インスタレーションとしてもなかなかいい感じ。生ものをたくさん使っているので、その匂いなんかも強烈でステキ。

ただし、「赤」というテーマは、実はそれ程面白いテーマじゃなかったんじゃないかな。いろいろと赤にまつわる感情を掘り出してくれるのだが、結局、予定調和の域を出ていなくて、反復動作なども一時間の上演時間にきれいに収まるくらいにしかやってくれないので、赤という概念が破壊されて新しい地平が剥き出しになるところまでの力はぜんぜんなかった。舞台の上で行われた愉快なことも、不愉快なことも、反復も、バイオレンスも、カオスも、どれもどこか少し芝居めいてしまっていて、劇場空間でパフォーマンスアートをやる逆説が気になってしょうがなかった。

それにしても、いつの間に私は、こんなにも擦れっ枯らしになってしまったのだろう。これでもか、これでもか、とこちらの身体と感情に挑戦してくるようなパフォーマーの行為を見ても、そこで今何かが本当に起こっているとは全く感じられないのだから。でも、フと周りを見回すと、他の観客も、やっぱりそこで本当に何かが起こっているとはそれほど思っていないみたいだった。

パフォーマンス・アートで何かが本当に起こった時代は、遥か遠い昔なのかもしれない。ちょっと何かを起こすために(舞台の上のアーティストもそれをちょこっと望んでいるのかもしれないので)、トマト(こいつも赤いゼ)の一つも投げてみようかしら、と思ったけれど、生憎持ち合わせのトマトがなかったので、アートが起こりそうな現場を撹拌してみることもできなかった。もし、私がトマト100個を投げつけながら、そこで突然叫び出したら、何か起こったのかしら。

☆ 酔い人のスキップしたり春の街