庭師ENOの言葉
夕方、ブライアン・イーノのレクチャーに出掛ける。
コンサートじゃなくて、レクチャー。それでも、きっと♪の一つくらい聞かせてくれるだろう、と期待してたんだけど、ホントに100%レクチャーだった。
でも、パワーポイントじゃなくて、ビデオカメラ付きOHPで透明図二枚を重ねて見せたり、自分でライブで書き込んだりするのがいい感じ。
なかなかいいこと言ってたよ。
独り占めじゃ勿体ないので、ちょいとお裾分け。
<その一>
イーノがやってるような音楽は「Generative Music」って言うんだそうだ。Generative Artっていうコンセプトで音楽もやってるの。
作家の頭の中で一から十まで全部完成してから観客にどうだって見せる(聞かせる)アートじゃなくて、作家が作るのは、最初のルールのところ。それがそのうち、勝手に成長して、いろいろ変化して行くってわけさ。それを見て、聞いて「あれれ?」「あ、今、脳の裏側が、おもしろ...、エヘヘ」なんてやってるのは観客の参加部分。観客の脳が作品の半分を作ってくれるわけだから、Generative世代のアーティストの脳は、ずいぶんと軽やかになったらしいよ。
<その二>
その結果。アーティストは神でなくて、庭師になった。
<その三>
世界を生み出しているシステムは果てしなく複雑に見えて、
実は意外とシンプルなのかもしれない。
<その四>
Control と Surrender(コントロールと降伏)について。
彼のビデオ・インスタレーションを見に来る観客は、最初は「よし、見るぞ!」なんて意気込んでたり、斜に構えてたりするんだけど、途方もなくゆっくりと変化するビジュアルや、その無限(の如く。実際には7700万通りのパターンがある)の組み合わせに次第に呑み込まれ、会場に座り心地満点のソファーなんかも置いてあるので、そのうち「降伏」モードに入って、ついつい4時間も会場でボーっとしてたりするんだそうだ。
この「降伏」という状態は、古くからあらゆる文明で大切な役割を果たしていたのだけど、今はネガティブなことのように思われている。イーノはsurrenderをむしろ自分で選び取る一つの在り方として、改めて評価しようってわけ。「Surrenderを動詞として使っちゃおうぜ!」とか彼は言ってた。降伏(ゆだね、と言ってもいいけど)が起こる現場としては、宗教、ドラッグ、セックス、アートなんてのが古今東西の文化の中に出て来るんだそうだ。そっか、アートってのはそういう意味合いがあったのね、と私はやたらに納得した。
ControlとSurrenderの程よいバランスが必要とされるのがサーフィン、とイーノは図に描いた。このサーフィンのメタファーはたぶん人生にも適用できるだろう。ある時にはコントロールし、ある時には自然のなりゆきに身を任せる。人間は、ついついコントロール過多になるし、完全降伏して身を投げ出すのは最高に怖いけれど、コントロールしてもどうにもならない時もあるもんな。そんな時には、ふわりとサレンダーしてみると、何かが変わるかもしれない。
それにしても、イーノってこんな人だったっけ?
スキンヘッドの落ち着いた、静かな微笑みのおじさん。メイクはもちろんしてない。
そう言えば、昔イーノのCDを何枚か持ってたこと思い出した。
10年前くらいかな、買ったの。たぶん、F犬街で。再び聴いてみた。
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更にその昔、お江戸にいた頃には、ビデオのモニターを縦にして見る作品だかを作っている前衛芸術家だという話は聞いていて、もしその頃に彼のレクチャーを通訳付きで聞いてたら、無条件で雲上人と崇め畏れたかもしれない。でも、今は英語のまんまでレクチャーも理解できるようになって、彼も優しそうなおじさんとなり、レクチャーの後にでも一緒に飲みに行って、あーでもないこーでもない、なんて普通におしゃべりできそうな身近さがあったよ。楽しい宵だった。
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☆ 哲学の講義出づれば寒の月