薄れてゆく遠い午後

Vの隣町Rへ。
青少年を対象にした、映像ワークショップに参加。
それにしてもteenagerという響きと、青少年っていう響き、随分違うな。
青少年、って不思議な言葉だ。青年と少年が組合わさっているらしいけど、
そもそも青年っていう言葉が不思議だ。
青という字、今までなんの疑問もなく、「だって、あお、アオ、青でしょ」と使っていたのだけれど、今改めてその漢字をじっと見つめていると、意味が分裂しながらとことこ歩き出しそうで、どうしてこれがアオ? そもそも青ってなんだよ、なんて脳が裏返る寸前。

夜、DVDでこんな映画見た。

フェリシア [DVD]

フェリシア [DVD]

カナダの映画監督アトム・エゴヤンの1999年の作『Felicia's Journey(フェリシアの旅)』。
初めて観る映画だと思って見始めたのだけれど、
97%くらいのストーリーには全く記憶がないものの、
脳のどこかに「この映画、見た事ある」という感覚があって、
考えてみるに、たぶん、私はこの映画を1999年の秋ごろにロンドンで見たらしい。

映画館の場所も名前も、正確な日時も覚えていない。
ただ、その映画館がシネマテークのような小さな館だったことと、
それが、少し曇った午後だったこと、
私は一人で映画を観たのだが、それは誰かの帰りを待つ間の時間つぶしであったこと、
映画の後に、角にある小さなカフェで紅茶を飲んだこと、
その時待っていた人は、今はいないこと、
それは、忘れられない一つの午後だったこと、などを心が覚えていて、
それなのに、映画の内容は、ほとんど覚えていないという不思議。
ただし、屈折した猟奇的中年男を演ずるボブ・ホスキンスのぞっとするような視線の瞬間を、覚えている感覚。

あの時、よく知らないロンドンの片隅で、
自分自身をこの映画の中のフェリシアと重ねてみていたかどうかすら、
分からないという曖昧さ。
今観ると、きっとあの時、旅先でさすらい迷う彼女に自分を重ねていただろう、と思うのだけれど。

遠い時間が、少しだけ疼く。でも、ほんの少しだけ。
あれからまた、随分と長く旅をしてしまったらしい。

☆ 背の高き男掠めて冬の月