筋力万歳

ニューアジア映画祭なるものをやっているよ、チケットがあるよ、などと誘われて、郊外のカルチャー・センターまで友達と出掛ける。雨。足が冷える。

お目当ての映画は『We don't care about music anyway...』という、フランス人監督が日本のノイズミュージックシーンを撮ったドキュメンタリー。この上映の前に8分くらいの短編映画の上映があって、結局次の映画も見て帰って来たので、合計3本の映画を見て満腹。

『Fish in Barrel』という短編映画はとても詩的な実験映像で、超高速カメラを使って撮影されていて、バスタブから水が溢れるだけの映像なんかがとても面白い。4秒くらい撮影すると、7分くらいになるらしい。時間の肌理の中ってのは、ああこんな風になってるのだな。どれだけ、美しいものが身の回りに隠れているのかということの証明。単純計算すると、80歳まで生きるとすると、超高速の世界では8400歳まで生きられることになる。今日一日にも2520時間分が詰まってる。すごいぞ。(計算合ってるかな)

『We don't...』は、上映中に二回上映が中断したのだけれど、そんな事忘れてしまうくらい面白かった。上映が中断する、というのは、この映画祭は実は夏の夜の活動上映会というノリで、映画祭と言ってはいるけれど、DVDでの上映で、一日中この小さなDVDマシンが稼働しているので、加熱したらしい。それで突然画面がフリーズ。それでも、またがんばって見るこの感じ。映画の中で、ハイテク&ローテク機材を演奏するなんてというよりは、それらと格闘、そして筋肉・筋力、汗、汗、汗! という具合にして七色のノイズを体から発散する人々の人間度と、時々止まるDVDを励ましつつも絶対に見るぞという私たちとは、いい具合に連動していた。

いきなりチェロの坂本弘通がチェロをがずがず引きずりながら廃墟を奏でるところから映画は始まるのだけれど、ああこの感じ、音を探す感じ、チェロが楽器というよりは、共鳴板と木片と金属の集合体に見えて来る感じ、そして、何といってもこの人たちは皆、体を使って労働している、この感じ、懐かしいというか、嬉しいというか、ああ、このこの感じ、忘れちゃいけない、これ、そう、これだ。なんて、やたらにわくわくもし、音を作る時のこの原点はここなんだよ、と自分にも言い聞かせたりした。

この映画が終わった時点で、もう十分満腹だったのだけれど、もう一本上映があるんですよ、というので、居残ってみることにした。フランス在住の舞踏家の岩名雅記が監督した『Summer Family』という映画。とても奇妙な映画。最初は、寺山とか思い出しながら見ていたのだけれど、最後の方は大島渚もここまではやらなかったよな、というような大胆シーンが出て来て、それが、また結構長くてしかも拡大接写、そして映画は突如ホラーとなり...、日本ではこれはノーカットでは絶対に上映できまい、こっちでもぎりぎりだ、わたしもちょっとこれはきつい、というよりも、それによってそこまで積み上げた詩情もしくは余情、覆い隠されていることによってのみそこに宿るものの神聖さが全て消えてしまった、などと溜息をついていると、友人も、目をまんまるにして、冷たい雨の中「ひやぁー」とか溜息をついている帰り道。

いろんな意味で、なかなかエクスペリメンタルな映画祭プログラムだったよ。こんなものがVで見れるとは思わなかった、というくらいの実験的セレクション。しかも、それが、静かな郊外の、公民館の一室みたいなところでチコチコ上映されていて、観客も10人〜25人くらい。こういう所に、前衛は生息していたのだったかー。

☆ 前衛の原麥笛の主いずこ