Believe.

こちらの放送局のオリンピックキャンペーンのキャッチフレーズが "Believe"とか言うんだけど、信じるってことは大切なことだ。F犬街の親方もそう言っていた。信じること。それ以外に成功への道はない、と。アートなどという物差しのはっきりしていないことをやっていると、「そんなのできるわけないじゃん」「そんなの無意味」「やめとけやめとけ」などと「信じない力」の激しい攻撃に日々晒され、そのマイナスの力に屈すると、何も生まれないか、あるいは、みんなが既に信じているようなものしか生まれない。とてつもないこと、ヘンテコリンなこと、こっぱずかしいこと、一見しょーもないこと、そんな空想夢想が生まれたその時、自分で自分を信じられるかどうか、とにかくそこだぞお前、と親方は言ったのだ。自分が信じていないようなことを、人が信じるわけがない。そして、人が最初から信じているようなことをやっても、新しい世界なんてチっとも始まらないんだから、やっぱり危険を背負ってとにかく信じるんだ、信じるんだ、信じるんだ、分かったか分かったか分かったか、バンバンバン(肩をものすごい力で叩く音)などと、親方は私に乱暴に教えてくれたのだ。

それでも、世界の全体が「信じない力」を発していて、自分一人でそれに抵抗しているような心細さに晒される日もあり。だから、日暮れて道遠し、などとテクテクトボトボ歩む道すがら自分が信じていることを一緒に信じてくれる人にホカっと出会ったりすると、やたらにパワーアップするのも人情。

今日はそんな日だった。その女性は、私が机の上に広げたまだアートらしい形を取るか取らないかのギリギリのものたちを、「信じてるわよ」という真っすぐな目で見つめ、そっと背中を押した。その「信じる力」の助けにより、まだ世界に生まれでていないそれらのものたちは、どうやら近々生まれ出る気満々となったのだ。私は、その信じる人の力強さに打たれた。

そうだった。信じれば、何かが生まれるのだった。こんなにストレートにそれを示してくれる人に出会うまで、忘れそうになっていたよ、その大切なルール。