検査室

検査室にはお財布もクレジットカードも持って行けません。
お気に入りのバッグも、たぶん持って行かない方がいいでしょう。
アクセサリーも、香水も、つけてはいけません。
時計も、指輪も外して下さいね。
そして、ドアを押す。
こちらの世界で獲得したものは
なんだ、結局、持って行けないのですねえ。
あんなにあれこれ買い物して、しこたま集めたのに、
指輪を外したら全部裸になってしまって、ゼロに回帰。
待合室では、もしかしたらまだ時間があるかもしれないので、
コートのポケットに文庫本を一冊だけ忍ばせてみました。
これが最後の本になるかもしれない、としたら
一体どの本を選べばよいのでしょう。
迷っていても選べそうにないので、
えいっと一番きりりとした本を手に取って、
何気ない素振りでドアを押して中に入る。
その本には、床の間のすっきりとした掛け軸の横に、
白い芙蓉を飾った、という話が書いてありました。
検査のためには、しばらく眠るのだそうです。
何度も眠って、起きて、
それを毎日毎日繰り返して来たはずなのだけど
今日の眠りはどうやら別の場所に布団が敷いてあるらしく、
この眠りであっちの方に寝返ると、
世界が裏返るかもしれませんと、説明書に書いてありました。
この睡眠にはサインが必要です。
そういう特別らしい眠りを眠る段になって
ああ、そうか、眠りというのはいつでも
世界が裏返る入口だったのだな、とハっと気づいて
今までの目覚めの全てが懐かしいような気持ちになりました。
あとは、芙蓉、白い芙蓉の花のことだけを考えて。
花びらが一枚、また一枚、柔らかく眠りへと落ちて行く。

あ、目が覚めました。
眠る前と同じ世界かどうかは、確かめようがありません。