2つの無関係なことの同調

そう言えば、V図書館と随分とご無沙汰している。世間の堅気な人々の忙しさとは比べ物にもならないのだけれど、冬眠から目覚めたことにより、少しずつ忙しさが私の元にも訪れるようになった。
これは喜ぶべきことだと思うのだけれど、本を読む時間と心の余裕が少なくなったのは、ちょっと悲しい。
でも、V図書館の和書の全てを既に読み尽くすくらい暇であったとしたら、それまた悲しい。

読むという作業は、どうしても受け身な感じがして、生活の90%〜98%が「読む」であった昨年の一時期には、密やかな罪悪感があったりもした。小さな繭の中で蠢いているパフパフの毛虫の気分なのだ。その毛虫は繭の中にまんまと本数十冊を持ち込んだので、毎日パリパリパリとそれを読み続けてむふむふ頷き、そして繭の向うにある世界を想像する。時々、薄い繭を透かして光の運動が見えることがある。そのうち、その運動なんて見えなくても、世界を識っている気分になる。こんなに本を読んだのだもの。えっへん。繭の中に小さな世界ができる。それを毛虫は本当の世界といつの間にか置き換える。本当の世界なんてものがあるかどうかは別にしてね。

でも、それを長く続けているうちに、何だかちょっと不安なキモチにもなってくるのだ。働かざるもの読むべからず、なんて諺はなかったっけ、なんてね。
そしてある日、毛虫は世界に参加することを決意して本をパタンと閉じた。らしい。

このところ、寝る前などにパラパラと少しずつ読んでいる本はコレ。

シンクロニシティ

シンクロニシティ

本の帯に遠藤周作の賛辞が書いてあったので、古本屋で買って来たのだ。偶然手を伸ばしたところに、この本があったし。
私は偶然というものは、存在しない、と思っているのだし。
これはF犬街のJ親方の教えでもあったのだし。
実は本日も、壊滅的打撃を受けそうな瞬間に全く無関係(と思われる)2つの事柄がシンクロニシティを起こしたことにより、救われるという場面があった。
世界は因果律のがんじがらめよりも、実はもっと面白い場所なのだ。