近況、らしきもの

近況は、と問われて、ハっとした。毎日毎日が同じように流れて行くだけ。仕事、と自分で名付けた仕事を朝から夕方頃までやったり、やらなかったり、時には深夜まで仕事らしきことをやっていたり、時には突然ソージを始めたり、午後5時になると料理を始めたり、始めないで夕闇の降りた街に夕ご飯を食べに出掛けたり、その後はテレビを3時間も見ていたり、かと思うとまた深夜過ぎまで何やらコンピューターを弾いていたり。火曜日の午後になると、ヨガ教室にテクテク歩いて行ったり。気が向くと、カフェにお茶を飲みに行ったり。時には何日も外の世界の人と言葉を交わしさえしなかったり。

はっきりと決まったプロジェクトがあるわけでもなく、公演の日程があるわけでもなく、お給料が貰えるわけでもなく、誰かに小言を言われることもなく。ただ、芋虫が少しずつ光のある方向に向って移動していくように、微かな光がある(かもしれない)方向に、じりじり、じりじりと毎日毎晩身をくねらせているだけだ。近況は、と問われて、何かはっきりとした計画や予定、義務や任務などをスッパリと語っても見たいのだけれど、私に任務を与えるのは私自身と、彼方遥か遠いところからこちらを見下ろしているらしい、想像を超えた大きな力らしきものの二つだけで、その任務はどうやら、しばらく言葉になりそうにない。

私の近況は、去年の、一昨年の、そのまた前の、ある一点の近況と、それほどの差異がない。テレビの映らないチャンネルの砂嵐みたいにモノトーンな毎日で、私にとってはものスゴいイベントは「スーパーに買い物に行った」「映画館に行った」「友達とお茶した」「花買った」「なめくじ見つけた」などという瑣末なことばかりだ。多くの人にとってこんなことはたわいもない日常でしかなくて、それをことさらステキなことのように浮かれている私を変だなあと思ったり、可哀想だなと思ったりもするだろう。

でも、そのまた前や、一昨年や、去年よりも、今の近況が何か変わったとしたら、芋虫である自分を悲しいとは思わなくなったことだ。花を買いながら、その花を包装紙にも包まずに左手に握りしめ、ちょっと雨混じりの道を上って行く芋虫は、ちょっと微笑んでいたりもするのである。芋虫は、芋虫であることを、愛せるようになった。それが、どうやら、近況らしきもの。