ケアパックの中身

日本の友人よりサプライズなケアパックが届き、私の目からは思わず涙が零れた。中には日本人ならばお腹の底、記憶の奥が「きゅう」と鳴って裏側のどこかがシワシワサワサワと波打って、あったかいものが沸き上がって来る、そんな和食材の数々が詰まっていた。乾物に缶詰。おお、これは。懐かしの「高野豆腐」...。ありがとうー。と昆布を抱きしめながら、虚空に向って叫んだ。この透明なキモチが、送り主への「返礼」としてこの瞬間に向うにテレパシーで届き、その一日を幸せにすることができたらいいのになあ、などと念じながら、サンマ缶もそっと抱きしめた。箱の中に詰まっていたのは、食材だけではなかったんだな、たぶん。この優しい気持ち。この食材を一つ一つ選んで、買い求め箱に詰めてくれた人の心そのものの柔らかな運動が、そこに詰まっていて、箱を開けた途端にそれがびょーんと飛び出したので、私の目からは思わず一滴の透明なるものが地球の中心へと向ったのである。

つい先日も、別の友人より、サプライズなケアパックが届き、私の心は嬉しさと有り難さで満たされた。中には小さなロボットと、とりどりのオマケが入っていた。ロボットをテクテク歩かせながら(カワイイやつだ!)、心が躍っているのが分かった。プレゼントを貰うというのは、いつでも嬉しいものだけれど、このケアパックの中にも、送り主の心の「柔らかな運動」の端々が詰まっていて、それが私を幸せな気持ちにさせたのだ。

美しい心を持つ人々とこの世界の中でつながっていられることの、不思議な喜び。ありがとうございます。と、天の方向に向かって呟いてみたくなる。本当に自分はラッキーだな、と思う。こんな美しい心に囲まれていて。こんな飛び切りのケアパックを送ってもらえるなんて。なんという有り難さ...。お礼を相手に伝えただけでは、私が受領した柔らかく温かく澄み切った心の「返礼」には物足りないような気がする。お返しのプレゼントを送ってもいいけれど、それでもまだこの透明でキラキラした静けさのようなものの「返礼」にはならないような気がする。
この有り難さへの最終的な「返礼」は、自分もまた心を曇らせないように日々を送り、受け取った柔らかな運動の記憶を世界のどこかにいる「誰か」に受け渡すことによって成すこととしたい。

ハイチ地震のニュース見る。Nの地震のことを思いだす。募金しよう。それくらいしか、今はできないから。