金庫はあそこにあるらしい

天気が少しずつ悪くなって来た。雪ちらほら。でも、どうやらここ2週間くらいの晴天の貯金があるらしくて、気分はそれ程落ち込まない。晴天が貯金できるものだとはね。お金じゃないから貯金じゃないし、どこに口座があるのかも不明。でも、ふああぁぁーあーと思わず深呼吸したくなる奇麗な晴天が続くと、貯めるつもりもなかったのに、どんどん増えてゆく残高。白衣を着た博士なら「日照時間が人間の体内時計を刺激して...」とか「眼の奥にある視細胞のシナプス伝導が...」とか「免疫力が高まり...」とかいろいろ難しいことを言うかもしれず、結局は内臓だとかホルモン分泌だとかそういうことですよ、というあたりに口座があるように言うかもしれないけれど、私は心だと思うな。口座というよりは小さくて透明な金庫が一番真ん中ンとこにポツっとあるんだと思う。さて、その心ってのががどこにあるかも分からないので、その金庫は探せば探す程見つからないけどね。

金庫はでも、透明なのだ。プラスチックじゃなくて浸透膜みたいな薄いやつ。外の光が内側よりも弱くなると、少しずつ漏れ出す。外の方の光が強いと、どんどんと金庫の中に貯まっていく。天気の悪い日が続くと、一日一日晴天の貯えが漏れ出て、空っぽになる。そうすると、貯めていた分だけじゃなくて、心が発電している分の光までが外に漏れ出て行くようになる。そして、決定的に雨の日が続くと、心の発電所が呆れ返って停電する。そうすると、中も外も真っ暗になる。

でもそんな時に、歌だとか、言葉だとか、人のちょっとした表情だとかが、光を供給することがある。天気が悪い日が恐ろしく続いても、世界の全てが真っ黒にならずに済んでいるのはそのためなのかな。誰かの心の発電所の作った光が、あちらにいる人の心へとじわじわ入っていく。そうやって空っぽの金庫の中に小さくポっと光が咲く。もうこの世界にいないのに、残した言葉や映像や、いろんな方法で今でも発電発光し続けているような人もたくさんいる。昨日はちょっと光を世界の方から貰ったのだけれど、今日はその半分くらいを発電して微笑んでいる人もいる。ずっとずっと電気を貰ってばかりいるような気がして、それだけでなんだか悲しくなる人もいる。

でも、「金は天下の回りもの」改め「光は天下の回りもの」、貰ってばかりいると思っている人が実は結構与えていたりもするし(その逆もしかり)、今発電していなくても、後になって発光するようなタイプの光もあり、光が回り回る世界は(どんなに暗い日があったとしても)やっぱりステキだなあと、それを信じられる人には、光はきっときっと微笑む。

曇りや雨の日は、その消耗分をともあれ自分で発電すればいいのだなとようやく気づいたので、発電機に油を注して、ちょっと心を点検してみる。自給自足ができるようになったら、世界やお隣さんにもお裾分けできるくらいの分量の光を作れるといいな。そしたら、もっと楽しくなりそうだ。

なんてことを考えながら、明日の宴会芸に向けて、ゴソゴソとビデオ編集などしつつ一日終了。また時間が飛んだ。