晴れチケット

晴れだあ。こんなに晴れの日が続くと、嬉しいを超えてなんだか不安になる。こんなに晴れのカードをいちどきに使っちゃって大丈夫なのかV。これは雨が恐ろしく長い間続いた11月のお詫びですか。来年の一月と二月にある演劇フェスティバルチケット予約なんかしながら、ああそうだ、晴れっていうチケットも買えるといいなあとフと思う。晴れの日を一枚買う。20ドルくらいで。そしたら雨の日にそのチケットを振りかざして笑顔。いいと思うなぁ、そういうシステムがあったら、未来の世界に。

でも、そしたらお金持ちばっかりが晴れチケットを買い占めるかもしれないな。と呟いたら、ラッコが横から「今だってそうだよ」と言う。今だって、お金持ちは雨が降ると雨の降らない所にバカンスに出掛けたり、寒くなると南の島に行ったりするって。あ、そうか。天気はお金で買えるんだ。天気が良い所に移動するっていう方法で。

ああ、ちょっと興ざめ。晴れはやっぱりお金で買えない方がいいな。雨なら雨、お日様ならお日様。あそこにもここにも容赦なく降り注ぐ方がいい。でも、おじいちゃんおばあちゃんのいるご家庭なんかにはお歳暮に「晴れチケット10枚」などを是非差し上げてみたいものだ。ロースハム一本とか数の子一箱よりも喜ばれるかもしれない。ぽかぽか陽射しの一日にお歳暮の熨斗掛けて。贈れたら、面白いな。

学研の『科学』と『学習』が休刊になるっていうニュース読んだ。しゅん。特に『科学』にはお世話になったものなあ。☆だとか惑星だとか、電流だとか酸性だとか、それから正統派の科学じゃないUFOだとか幽霊だとか、世界のいろんな秘密に出会ったのが『科学』の中だった。そうか、世界は見えている場所だけにあるんじゃないんだな、と知ってドキドキしたんだった。何かの出来事に遭遇した時に、顕微鏡の倍率をいろいろと変えるようにして、外側からも内側からも遠くからも近くからもバッサリ切った辺りからも見るような目を持つようになったのも、『科学』のお陰のような気がするし。付録がいつも待ち遠しかった。やたらガラクタが溜まって、お母さんは困っていたけれど。

休刊の理由は子供の数が減って採算が合わないことらしい。『科学』に出会わなくても、もちろん子供は育つんだろうけれど、どうやら『科学』を食べて大きくなったらしい私の頭は、子供の見る夢の選択肢が一つ減ったんじゃないのーだとか、日光写真や自作お風呂ブザーがない子供時代なんて嫌だーとか、夕焼けに向って直立に突っ立ちながら、やたらと残念がるのでした。