走って、また立ち止まる(+眠る)

ひゃあ今日も晴れている。そして空気がくっきりと寒く澄んでいる。巨人の手は本日も薬指からさかんに煙を棚引かせている。向うに白い山がチラと覗き、正統派のどかな冬の日。あっと、今日はもう12月。オフィシャルに冬開始。

今年は何をしたっけ。と、一月から順番に思い起こそうとしてみるのだけれど、春に旅行をした以外は、とても淡々とした毎日だったことしかとりあえず浮かんで来ない。肉、野菜、卵、豆腐、パスタ、肉、魚、野菜、バスタ、豆腐、卵、魚って感じの、やたら反復が多い毎日で、これは今年に限ったことでもないけれど、年の初めに「よし。これをやるぞよ」などと意気込んでいたことの多くは果たされず、いくつかのことがやたらのろのろとほんの少しだけ進展した。亀がそろそろっと首を伸ばして、足も伸ばそうかなと思ってやっぱりやめて、首もちょっとひっこめて、足もちょっと引っ込めたけれど、最初のところまでは収納できなくてちょっとだけ前進したという形で止まっている、という程度のことだけれど。

何しろ、過去数年「冬眠」していた身としては、亀さん式であれ、のろのろであれ、進んでいるという感じがほんの少しでもあるのは嬉しい。ぴょんぴょん、ぴょんと二段抜かし、三段抜かしの兎さん式で進んでみたい欲望はあるけれど、かつてそうやってびょんびょんやってるうちにぬかるみに嵌って、そのまま敢えなく冬眠の羽目に陥ったので、思い切って飛んじゃおうかなと思う時にも、いやいや一段ずつ、と手すりにつかまってそろそろと降りるような始末。でも、またいつか全速力で走れる日が来るのかな、と、リハビリ中の走り手が考えるようなことをぼおっと考える。なんだか、全速力で走る感じを、ちょっと忘れてしまったのだよ。走るところを歩き、歩くところを座り、座るところを長い間眠っているうちに。私の速度はずっとのろくなり、あっちにある世界の速度はその分速くなったようで、世界の中にいる人に見えることが私には見えなくなって、その代わり、あの中にいる人には見えない肌理や点々や、隙間に挟まっている小さなものの囁きばかりが聞こえるようになった。これも、また世界。バトンを握って全速力で走っているあなたからは絶対に見えない世界がここにあるので、それととりあえず戯れてみたりしているのです。

そう、今年はずっと、隙間や、とっくに通り過ぎた時間の残像の中にある落とし物ばかりを拾い集めるようなことをしていた。またいつかある日、冬眠から醒めた筋肉も随分と強くなって来たし、そろそろ大丈夫かしら、と少しずつスピードを上げて、私はまた全力疾走へと向って行くのだろうか。その時には、のろのろとした時間の中で見つけた忘れ物や不揃い品、いろんなmisfitsたちが見える目は消えるのかな。それとも、全速力で走れるっていうそれだけでもう胸が一杯で、そのうち速い速い世界の速度に追いついて競り合うのが楽しくなって、後方に零れ落ちて行くものなんて「みなく」なってしまうのかな。全速力で走ってみたい、息が完全に切れるまで。でも、げっぽ(N弁か?)的低速によってのみ見える世界も、一緒に連れて行きたい。勝つことよりもそっちが楽しいので、全速力で走ってみたかと思うと、立ち止まったり、昼寝したりする変なランナーになるだろうな。ぜんぜん普通のオリンピックなんかには出られないけどね。

ヨガ教室の先生のL女史に、新しく買ったモニターにDVDプレイヤーを接続するという作業を頼まれる。えっへん。こういう作業は得意なのだ。まあ、これはかなり初歩的だけどね。ちょっとえっへんな気持ちでケーブルをつなげながら、「あ、この感じ」と、高速走行してた頃の感覚が、ほんのちょっとだけ通過した気がした。

日本産みかんを見つけて箱買い。ああ、この匂い。薄い皮をむきながら、心はもう輪舞している。口にちいさい房を投げ込む。ああ、冬だ。冬の味。甘酸っぱい瑞々しいものが、胃袋じゃなくて、もっと高いところにある見えないスポンジの真ん中に吸い込まれて行った。しいん、と嬉しくて。勿体ないのでちょっと目をつぶって味わった。これで炬燵があったら言う事ないな。なんという幸せな宵。