花は笑う

11月はやたら駆け足で去って、もうこんなにどん詰まり。この季節になるといつも思いだすことがあって、花を買う。ちょっと季節外れのようにも思えるのだけれど、いつものお店の花冷蔵庫の中にはアイリスが莟を閉ざしたままで並んでいて、本当は暖かい色の花にしようと思ってたんだけど、つい一本買ってしまった。でも、この季節にあやめというのもちょっと不思議だし、青紫の花びらは雨の窓とのコントラストだとどうしても淋しく映るので、オレンジと黄色の混じったような明るいバラを一本、何やら赤っぽい南洋風の植物を一枝、それから目のまんまるの鳥がついばみそうな大きな赤い実のついたのを一枝、そしたら緑の葉っぱの一枝をおまけしてくれた。

思えば、今年は夏頃からずっと花を切らしていた。ベランダの植物連に気を取られていて、花のところまで気が回らなかった。菊の「はなちゃん」は無事に花咲き、今も寒さから避難した家の中で大振りの朱色の花を開いているけれど。

子供の頃、家にはいつも花が活けてあった。玄関先のところに。「どんなことがあっても家には花を切らすな」っていうのがおばあさんの主義で、庭から摘んで来た花や、Nの五・十の市から買って来た花を花器に活けている姿がほっほっと目に浮かぶ。剣山を使って、平べったい花器に挿していたよ。花鋏は錆びて黒く茶色くなって。それでパチンパチンと茎を切りそろえ、長いのや短いのを組み合わせて、野原を再現したみたいなのを作っていた。茎を切る時には水の中に入れること、なんていうのはたぶんその時にじっと見ていたら教えてくれたんだったと思う。

とてもとても長い間、私は花を家に飾るなどということとは縁遠い生活をしていた。花より団子。団子よりアート。アートより旅。などと忙しなく外出ばかりしていて、家の中にいることが少なかった。花が入り込む隙間が、生活の中に全然なかったのだ。心はその場所にはいなくて、どっか別の遠くばっかり見つめては、そっちに行きたがる。でもお腹は空くし、料理は苦手だし、面倒くさいし、それよりもまず映画館だ、劇場だ、美術館だ、とやたら出動ばっかりして、おばあさんの言葉など思いだす暇もなかった。でも、花を忘れていたからかどうか分からないけれど、私はその後結局ものすごく長い冬眠に入る羽目になり、冬眠の間そして冬眠の後ののろのろとした日常の中には、びっくりしたけど、いつの間にか花が入って来ていた。ああ、きれいだな。ああ、あったかいな、などと、花の持っている色や光、その囁き声や笑顔なんかがちょっとばかし見えるようになっていたのだった。少しだけ翳った心に向って、花はそっと笑うのかもしれない。

なのになのに。またしても、この夏は花を切らしてしまったよ、おばあちゃん。
そうしてまた雨の灰色の毎日がやってきて、どうも何か部屋の中が暗いと思ったら、花が無かった。

薔薇は「お久しぶり」と笑い、アイリスは少しずつ花弁を開きながら「くすくす」笑う。赤い木の実は大の字になって、さっきから今日の夜見る夢の計画を立てている。キャンドルの火がゆらゆらして、花のいる夜がゆっくりくすくす更けてゆく。