霰降ります、音沁みます

朝ちょっと晴れてるなと思ったら、霰が降った。風が一際冷たくなって、でも霰が歩道の脇の芝生の上に少し積っているのを見たら、ちょっと胸がトクトクした。ワクワクして。霰が降っている最中には窓のない建物の中にいたので、気づかなかったのだけれど。古い真鍮製の丸いドアノブを回して、外に出たらほおっと寒くて、そこから歩道まで降りて行く段々の途中で、一段ごとの90度のくの形の奥まった所に霰がまだ溶けずに残っていた。今まで雨だったものが氷になる決意をする瞬間が、朝9時と10時の間にきりっとした線を引いたらしい。北の町Nからやってきた者には、むしろ、このきっぱりした冬の突端の方が、はっきりしない態度でいつまでもだらだらぐずぐずとやっている雨よりも、もうちょっと親しい冬の友達なのだ。

昨日、久しぶりにグレン・グールドに出会った。テレビでやっていたドキュメンタリー映画Glenn Gould - Hereafter』。昨晩は半分くらいのところで気づいて見始めたので、今朝7時起きして再放送をまた半分くらい見て、用事から帰って来てからまた再々放送を、今度は落ち着いて最初から最後まで見た。

グレン・グールドはC国の人なのだ。知ってた? 

その昔、ウチには結構な分量のクラッシック音楽のレコードがあって、そのほとんどがピアノの曲だった。その中にグレン・グールドの『ゴールドベルク変奏曲』があって、そのジャケットを見た時に、何かピンと来た(ような気がする)。この毛髪のたなびきは。巨大な手は。そして何とも言えぬ脱力の迫力。クラシック音楽のレコードなどというものは、その当時は特に地味で、どれも同じようにカチンと四角い金縁の枠の中に入っている印象があった(ような気がする)。でも、ジャケットの中のグールドは挑発的というか、不敵というか、アヤシイというか、アブナいというか。レコード蒐集者であった母が「この人はちょっと違うのよ」と言って変な笑い方をしたせいかもしれないけれど、この特異な人物のことは頭の奥の方にしっかりと記憶されたみたいだった(もしかしたら、本当は起こらなかった過去の思い出かもしれないけど)。

たぶんこれがそのレコード(今はCDだけどね)。

バッハ:ゴールドベルク変奏曲(1981年録音)

バッハ:ゴールドベルク変奏曲(1981年録音)

昼間にテレビを見ていると、表がやたらうるさい。Vオリンピックのための道路工事。ガガガガガ、ダダダダダ。自動車もブーンブーン。グールドのピアノの音を通して見ると、世界がいかに騒がしい所であるかが今更ながらものすごい。この瞬間には世界の方のスイッチをパチンと切って、グールドを選びたくすらなる。ああ、そしてドキュメンタリー映画をぶったぎって、10分おきに入るコマーシャルの醜悪さよ。なんでコマーシャルというのは番組よりも音量を10デシベルくらい上げるんだろう。ギャっと飛び上がりそうになる。グールドが見たら、気絶するだろうな。これはもう暴力。世界は、本当はもっと静かな場所だったような気がするのだけれど。うっかりしているうちに、やたら騒がしい所になっていた。

超低速で弾かれたゴールドベルクの最初のアリアのところ。何だろうこの感じ。指先が音楽の秘密の箱をパランパランと開けてゆく。音が持てるだけの宇宙を隅から隅まで見せるギリギリまで待ってあげること。心の中で音の花が開くための時間をがんばって作ること。音と音の間の深海を隅々まで探検すること。簡単そうだけど、こんな風に音がジャンプして着地するまでずっと待ってくれる人は、世界にそんなに多くないらしい。ぞくぞくする。

冬のVには、グールドがやたらによく似合う。沁みる。どこまでも。霰の芯のところまで。濡れる葉っぱや襟を立てたコートの端っこにまで。手袋(彼はいつも、手袋を嵌めていた)の指先一本一本の震えにまで。曇った窓から見る立ち枯れた樹々の黒いシルエット。その向うにある果てしない空。

この世界で道に迷ったら、目の前にいる誰かではない誰かのために音楽の果ての果てまで高く高く昇って行ったこの人のことを思い出すことにしよう。

Glenn Gould Hereafter [DVD] [Import]

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