小さな冒険

今日は、ちょっと晴れ間が出た。久しぶりの雲の切れ目なので、これを逃してはならぬ、と散歩を企画した。いつものように、スタンレー公園の水辺をぐるり回ってあざらしどもに挨拶するというコースでも良かったのだけれど、ちょっといつもとは違うことをしてみよう、とそんな空気が今日は満ちていて、おなじみCラインへと飛び乗り、終点まで行き着き、そこでSea Busなるものに乗り換えて、海を挟んで一路北へ。そこにはノースVと呼ばれる地域が広がっている。スタンレー公園からぼおーっと北の方を眺めると、波の向うに見えるのがノースV。特別な用事でもなければ絶対出掛けないエリア。しかも大抵は、ライオンさんの銅像がついているライオンズ・ゲート橋というのを車で渡ってゆくので、船に乗ってゆくのは初めてなのである。

午後、ちょっと出遅れて、シーバス乗り場に着いた時には雨が降り始めていた。ノースVの方を見やると、真っ黒な雲に覆われている。船は丁度出た所で、次の船までは30分待たなければならない。電光掲示板に28:16 28:15 28:14 28:13 28:12 28:11 28:10 28:09 28:08 28:07 28:06 28:05 28 04 28:03 28: 02 28:01 28:00 27:59とカウントダウンの文字が光る。この刻々と減って行く文字の刻みのせいなのか、それともぽつりぽつりと集まって来る乗客のおじさんがヘンなカーボーイハットを被っていたり、何かを詰め込んでやたらに膨れたビニール袋を持っていたり、そうでなくとも防寒着のジッパーを首のところまでジジジと引き上げて、出来ることなら顔も襟の中に全て埋めてしまいたいという様子ですくんで押し黙っていて、その上に更に3重巻きマフラーなどして、なんだかみんなやたら神妙な顔してるせいだろか。これからやってくる船はVとNVとを10分足らずで繋ぐシーバスなどという軽快な名前の船ではなくて、宇宙空間への移民を運んで行く宇宙船なんじゃないかな、という感じが蛍光灯の淋しい暗さの中に浮かんで来る。

待ち合い椅子は色のない黄色で、やたらに平らで、座る前からお尻が想像力の中でもう冷たいプラスチックの板。どこにも存在しない椅子という純粋概念の上に座っても、ここまで居心地悪くないだろう。お手洗いには入っておいた方がいいだろうか、宇宙は寒いのだろうか。お弁当はあるのだろうか。遠く果てしないのだろうか。もう帰って来れないのだろうか。手荷物も、お菓子も、過去も持って来るのを忘れてしまったけれど。

などと、薄暗い想像をしているうちに、掲示板の赤い文字が一桁になり、フと頭を上げて左の方向を見ると、300人くらいの人がいつの間にか列をなして乗船を待っていた。乗り損ねるかな? と一瞬思う。ノアの箱船、地球からの宇宙移民もまたこんな風に列をなすのだろう。そこに船が滑り込んで来る。天井が低くて、漁師さんの船のような船の形をなしておらず、SF映画で見た巨大な宇宙船のフォルムに似ている。ほらね。やっぱり。宇宙船だ。乗り込むと、C国の国旗を持った子供が窓から外をじっと見つめている。空は暗く、波は銀色。Vダウンタウンの背の高いビルや、観光タワーや、電気のついた五輪のマークが揺れながら遠くなっていく。

なぜに国旗。そう、今日はリメンバランスデーという祝日でお休みなのだ。

しばらくして雨のNVに上陸。フードで雨を避けながら街をちょっと歩いてみたけれど、手袋の中まで雨が入り込んで来て冷たくて、どの店も通りも、どこにもありそうで、でもやっぱり見慣れない知らない街で、こんな時にはちょっと楽しい気持ちになったりするものだけれど、今日は途中から割り込んで来た雨のせいで、深呼吸すらできない。まったく。とはいえ、途中のペルシャ・マーケットでアツアツのシシケバブなど食し、スイカの種など不思議な木の実を山盛りにして売っているお洒落なお店からピスタチオたんまり、などを買い求めて、ちょっと楽しい気持ちになり、また宇宙船に乗って帰って来た。

Vに戻る頃には、真っ黒の夜が降りて、空と海の境目がもっと真っ黒で、孤独らしき影がつやつやしながら俯いている。まだ5時とかなのにね。宇宙船は低く水面を滑り、オリンピックのやたら明るいネオンの五輪の光が黒にくっきりと、少しずつ近づいて、見慣れた場所が帰って来た。ちょっとだけ冒険の休日。