違う、顔が、違う

雨です。もう書かなくてもいいくらいだね。毎日雨なんだもの。

Vのダウンタウンを歩いていたら、見たことある人のポスターが貼ってあるのを見つけた。ものすごくよく知っている人なのに、0.7秒くらい脳がわざと道草してふふんふんなどと鼻歌を歌って、なんとか誤摩化そうとしている、知ってるのに知らない振りをしようとしている。嫌がっている。完全に駄々っ子状態になっている。そして、いや脳たるもの、記憶と認識、知覚と理解の中枢としての重責を負う身。どんなに不快であっても、見てみぬ振りをしたくても、身勝手な振る舞いは許されぬ。と、ようやく落ち着きを取り戻して、1.7秒後に私に伝えた。「これ、アトムだよ!」とね。

私の目の玉の前、ショウウインドウのガラスにペタリと貼られたポスターは、ハリウッド版アトムのCG映画『アストロボーイ』。私は脳の逡巡に代わって一言い呟いた。いや、呟きどころではなく、叫んだ。思いっきり。心の中で。
「ちがーう。顔がちがーうーーーー!!!」

以前から、なぜキャラクターたちはハリウッドへ行くと顔が変わるのか、ということがとても気になっていた。クマのプーさんもディズニー映画になる時に、原作とは全然違う顔になってしまった。今回のCG版アストロボーイの顔は、いろんな思惑と欲得計算をモンタージュしてできた誰の顔でもない顔っていう感じで、なんとも居心地が悪い。ちょっとハンサムになり、ちょっと大人びて、ちょっとコーカソイド系? となったアトム改めアストロボーイの顔の裏から「青年層の観客も獲得するには、ちょっと大人びさせて...」「統計的に見て、一番観客に人気の出る主人公の顔のパターンは...」「売れるためにはエスニシティも考慮しろ...」などなど$$$に絡んだ大人たちの呟きが聞こえて来る...ような(勝手な想像ですけど)。

結果として、今回のアストロボーイは、ものすごくニュートラルで、クリーンで、善良そうだけれど、魂の輝きが灯っていない、のぺええっとした顔として大スクリーンに登場することになった。あの、元祖アトムのにじにじっとした、ちょっと幼稚らしい正義感に燃えた表情、若い魂の青い炎がぼんぼん燃えているような爆発的エネルギーを秘めた小さな体の魅力はどうやら消えてしまった。鉄腕という名前の通り、鉄の塊を繋ぎあわせたブリキ細工の如きフォルムのアンバランスの中にある夢と永遠。人類を救うなどという大きな言葉が子供たちの心の糸をピンと弾いて、その時に発生する虹色の光の粒に満たされているらしい未来という場所への透き通った憧れ。そんなものがアトムの世界であるのだけれど、こののっぺりのぺのぺした青年(少年というには老け過ぎている)は、どうも$$$ワールドのために働く空っぽの人形のように見えて悲しい。

そういえば、随分前に、自分の映画のオーディションを受けにハリウッドにやって来たクマのプーさんWinnie-the-Poohの夢を見た。世界中から集まった縫いぐるみのクマたちに混じって、辺りをキョロキョロ見回すPooh。オーディションで彼は「ボクが本物のプーです」と言うのだが、プロデューサーは「売れそうにない」「みすぼらしい」「顔が地味」「芸がない」「ハッタリがきかない」などという理由で、彼を落とし、変わりに黒のグラサンを掛けてやってきたL.A.出身のクマ俳優を主人公に抜擢。その芸達者でルックスも良いクマの縫いぐるみが、現在ディズニー映画でプーさんの役を演じているのである。

本家プーさんは、たぶんウィニペグに戻ったと思うよ。そして、彼は今でも、蜂蜜のジャーの中に時々手を突っ込んだり、野原でボーっとしたり、空を飛ぶたんぽぽの綿毛などを追いかけて日々を送っているらしいよ。

Astro Boy (Score)

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