哲学を買いにゆく

あめ。あめ。あめ。あめ。あめ。あめ。あめ。あめ。
朝起きる。ひたひた裸足で窓のところにゆく。そしてまあ予想はしてるんだけど、ブラインドを開けると(いや、開ける前から光の感じと冷たい肌感でわかっちゃうんだけど)案の定灰色のどす黒いやつに街が沈んでいて、「にわか」でも、「とおり」でもない堂々と居座った雨が「おはよう。今日も徹底的に止まずの雨です。それが何か?」と開き直り、申し訳ななさそうな素振りとか、ちょっと遠慮がちにとか、そういう奥ゆかしさが全く感じられないので、こっちもちょっとグレて「はああ、そうですか、そうですか、あめですか、あめですか、構いませんよ。おはよう」などと、可愛げのない事務員のように憮然と応対して、ちょっと対抗してみたくなる。

W嬢とマレーシア料理店でランチ。あめの日は、エスニック料理が効く。特に窓際から遠く離れた奥の方の、偽物のバナナの樹やらマレーシア風の額縁やら置物やらが色とりどりに置かれている辺りが良い。骨付き鶏肉のカレーはココナツミルクの味がして滑らか。一瞬、舌を頼りに赤道近くまで意識を飛ばしてみる。スプーンで口に運ぶ陽光、もう一口。もう一口。そうするうちに、おやおや。斜めに切った茄子の色は野の菫と同じ淡いパープルで、そこに鮮やかな緑の畝の縦横、あららこれはいんげんまめさんではないか、そこへキャベツの黄金の畠が緑を越えて幾重にも重なり。雲雀が啼きながら通過するところでフと立ち尽くせば、天頂から降り注ぐお日様。

ああ、汗ばむような、赤道直下の、この強い光のエネルギー...、などと、いい気になってお皿の上のトリップを勝手に楽しんで、外に出ればまたどんやりと灰色に沈む街に、降り止まぬ雨。傘を吹き飛ばされそうになりながら、水たまりを踏んづけ、踏んづけ、そのうち足が濡れて、ああ、靴下に雨が侵入。ひやん。

この長雨のせいなのか、自分でも知らないうちに仕掛けたアラームが遂に鳴り、何かが裏側でカチっと組合わさったのか、昨日から突然「哲学」が読みたくなったので、VのBook Offに、ひやんひやんとした足を引きずって出掛ける。今日は時間があるので、本棚を端から端までゆっくりとスキャンしてゆく。哲学の棚にはほとんど哲学らしき本はなくて、岩波文庫のところに行ったら少しあった。岩波文庫はもうどれもこれも全部$2。ラッキーとばかり、野花を摘む少女になりきって、ぽつりぽつり、あれ、まあ、こっちもあっちも、つむつむつむ、とどっさり本を摘んで籠に入れ、あら、あっちの棚にも、こっちの棚にも、と目移りする可憐な花の多いことよ。幸せな、とても幸せな時間。背表紙の題名や、作家のアイウエオ順の名前を一つ一つゆっくりと見ているだけで、なぜかこんなにも楽しい。やはり遥か遠いVにいるからなのだろうか。

お財布は空っぽになり、少し雨が止んだ街を、たくさんの哲学の入った袋をずしんとぶら下げて帰る。重いよう。やっぱり哲学というのは、このようにずっしりと重いものなのだなあ、とやたら納得する。これを食べたら一体どうなるのだろう。食べたら、やっぱりネギと豆腐を食べた時のように、本自体はなくなるのだろう、とそう思った。そして、私の一部が哲学になるのだ。なんだか、すごいな、それって。