詰まり研究

今日も雨。毎日毎日お天気日記をつけているけれど、これくらい雨が多いと、呆れる。雨マーク、晴れマーク、曇りマークのシールを貼る方式だったら、完全にもう雨マークが足りなくなってる。まあ、これがNだったりすると雪シールが足りなくなる恐れありだけど。そういえば、ずっと昔にN市長が「ゆきだるまが空から降って来るわけではない」とテレビの天気予報のマークに注文をつけて、それ以後天気予報の雪マークが雪の結晶のマークに変更された、なんていう話があった。豪雪のイメージをぬぐい去りたかったらしいけど、雪だるまが降って来るようなところにむしろ私は観光で出掛けたいので、市長の思惑が何がしかの経済効果を生んだのかどうかは不明。そして時は流れ、またテレビのニュースなんかでは、平気で雪だるまマークが使用されている。それを言ったら、雨の日に雨傘が降って来るわけじゃないしね。

今日はちょっと、「行き詰まること」について考えた。このところの不景気のせいで職を失ったり、家を失ったり、いろんな意味で行き詰まっている人が四六時中テレビに映る。テレビの中だけじゃない。身近にも、ちょっと離れたところにも、地球の裏側辺りにも、結構人生に行き詰まっている人が実際にいて、この一年くらいの間にあっちこっちから溜息が届いた。今日もまた、10年振りくらいに電話した人が、思いっきり行き詰まっていた。

うーん、なんなのだろう、この行き詰まるかんじ。将棋が詰まって行く感じ。人生の一手一手が積み重なって、いつの間にか袋小路へと入り込んで身動きが取れない感じ。焦る感じ。一瞬絶望する感じ。疲れた感じ。八方塞がりな感じ...。外を歩く時には必ずスキップしてた小学校3年生くらいの時には、想像もつかなかった、この人生の煮詰まり方。極楽蜻蛉で飛び回っていた私も最近結構むぐりと詰まっているわけだけれど、同様にかなり詰まって来た人は、一人や二人じゃない。詰まってない人の方が少ないくらい。多いよ、すごく。いやはや、どうも、結構、なんてか。皆詰まってるよ。むぐりむぐり。

たぶん、詰まりやすいお年頃なのだろう。上下二巻本の小説の二冊目に入る辺りの感じ。どうも話の展開にイマイチ納得いかないのだが、物語をこれから180度変えるわけにも行かないし、かといって、このままの路線で最後まで突っ走る自信も気力もなくなる上巻と下巻の間のギャップなんだな、この行き詰まりは。

行き詰まっている人の人数の多さ、パターン、分布、性別などなどを比較研究した結果、人生というのは必ず(もしくはかなりの高い確率で)行き詰まるようにできている、という結論に本日達しました(強引)。じゃじゃーん。ということは、たとえ行き詰まっても、行き詰まっている=人生を生きているということに他ならないので、慌てる必要なし。むしろ、よく行き詰まるところまで詰めて来た! あっぱれ! という境地なのである。そして、次の一歩、詰まりが解決され、エネルギーがまた流れ始める時は必ず来る。らしいです。信じれば、ね。

余談:本日、風呂場のパイプの詰まりを解決。一握りの重曹お酢1/2カップを注ぎ入れ、栓を閉めて15分。そこに熱湯を注ぎ込むと。おー、詰まりが爽やかに解決! すごい。

人生とはそれすなわち行き詰まることである、というこの怪し気な研究結果が実際に行き詰まっている人の救いになるのかどうか分からないけれど、ともあれ、行き詰まってるのは自分だけではなく、あっちでもこっちでも、もうそっこら中で、いろいろと行き詰まっていることを知ると、ちょっと肩の荷が降りるかもしれない、なんていう変なことを(こうやって書いてみると、やたら当たり前のことを書いてしまったようでもあるが)今日はちょっと真面目に考えたりしてるのである。おほん。