On Air あるいは生声の魅力

朝から晴れてピカピカ。本日の未明に冬時間に変わったので、時計が一時間後戻り。今朝は早朝に待ち合わせがあったので、目覚まし時計を何時に掛けたらいいのか昨日の晩、ものすごく悩んだ。日本と違い、F犬街&V市には「夏時間」というものがあって、一年に二度、時間が一時間ズレる日がやってくる。今まで何度このズレのせいで待ち合わせに遅れたりしたことか。今でも忘れられないのが、F犬街に居た頃、J親方のリハーサル時間に遅れた事件。約束の時間に現われたところ、既に他のパフォーマー達はミーティングの最中で、全員からものすごく寒い視線を向けられた。「おまえ、何で遅れて来てるんだよ!」「ええっ、だって、午後1時って言ってませんでした?」「そーだよ」「え、だって、今午後1時...(と、腕時計を見せる)」「おまえ夏時間忘れてたな! わっはっは(一同爆笑)」

ま、爆笑で済んだから良かったけれど。これが舞台のある日とかだったら、笑いじゃ済まなかったもんね。と、それ以後、とても恐れている「夏時間」と「冬時間」の変わり目の一日。それが今日の深夜だった。

夏時間から冬時間に変わる時には、一時間時間が逆戻りするので、間違えて待ち合わせ場所に現われても一時間早いだけなので、それほど害はないのだけれど。やたら神経質に目覚ましを二重三重にかけて、それでもなんとなく信用できなくて、目覚ましが鳴る前に目が覚めてしまったそのワケは。今日は朝早くから、V市の日系ラジオの生放送の見学に出掛けることになっていたからなのであった。緊張します。生、ですから。

小学校の放送委員会時代から、ラジオって憧れだった。生だもん。ライブだもん。このワクワク感って、舞台と同じだな。Show must go on! 何があっても、幕を上げねばならぬ、On Airせねばならぬ、あの感じ。今この瞬間に、誰かと直球でつながっている感じ。あの感じが好き。小さな箱から漏れ出て来る声の主が、今まさにどこかずっと遠くのマイクの前に座ってる。あっちの声がこっちの耳に→→→届く。録音でもダウンロードでも同じだと思うかもしれないけれど、ちょっと違うの、ライブで届く声。

情報の断片が四六時中ネットを通じて入手できるイマドキ、つながろうと思えば、SNSでもなんでも、やたら簡単に、今誰が何してるかなんてことさえチラチラ覗けるような昨今、ラジオなんてレトロ以外の何者でもないのだろうけれど。ちょっとつまんないんだもの、「いつでも、どこでも」って。午後7時の開演に遅れたら、一生再び見ることのできない演劇とか、10時25分にスイッチを入れないと決定的に聞き逃すラジオとか、そういう一回っきりライブな世界でないと伝わらないものって、絶対にあると思う。この一回っきり、その場に居なければ体験できない類のことが、「いつでも、どこでも」体験できることと混同されはじめると、人生の一回性の美しさがどんどん目減りしていくような気がするんだけど、な。(とはいえ、V市日本語ラジオもネット化していて、放送後でもいつでも聞けるんだけどね。ま、「一回きりライブ」の魅力と「いつでも、どこでも」の利便性と、その二つのバランスがカギってことですな)

On Airの電気が灯る。マイクに向って、声が弾む。JAL再建問題など、なかなか硬派な内容。とってもよく分かる解説。ほー、ふーん、へえー、はははっ(などと、自分もスタジオの中に入れてもらっているので、声を出さずに反応。何度も声出して笑いそうになり、思わず笑い声を呑み込む。)その合間に流れるレトロな流行歌。時空がちょっと歪む感じ。ふふふ、楽しー(声なきニタニタ笑い)。そして、最後には、なんと。飛び込みでラジオに出演させてもらった。ええ、えええっ、いいんですか? 「どうぞ、どうぞ!」(ニコニコ笑うパーソナリティーT氏、懐のどどんと深い、興味深い人物である)これぞライブのカンドー。ひょえー。脳細胞が小学校の放送委員に戻って、欣喜雀躍。輪舞を踊っておりました。感謝感激。ライブで誰かとつながる声。これ、結構人生の隠れテーマかも知れないな、などと思いつつゆく帰り道、いつになく天気のよいVの街が、更に晴れて、澄き通って見えたのでした。