卵をコンコンと割って御飯にかけたい

今日はちょっとだけ晴れ。曇りと晴れの中間みたいな日。それでもお天道様がちらりとその光を届かせているのが嬉しい。

夜、卵料理を作っていて、卵をぢっと見ながら思う。

「おまえに、生のまんま醤油をぶっかけて、えいえいっとかき混ぜて、熱々のごはんにかけて、食ってしまいたい」

なんとシンプルで慎ましい欲望であろう。もしこれが日本のNならね。ああ、どうぞ卵くらいならもういくつでもご自由に。どうぞどうぞなんて言われて、調子に乗って5個くらい平らげたところで、文句を言う人もあるまいに。しかし、所変われば卵も変わる。12個入りケースが$6.50(日本円で600円くらい?)もするオーガニック卵であっても、生食は禁物。私は密かに、生で食べちゃっても大丈夫なんじゃないかな、と機会を狙っているのだけれど、こちらの人に言わせると「卵を生で食べるなんて、危険すぎる」ということになる。

結局はどちらも鶏からポコンと生まれる卵であるはずなのに、なぜ日本では生食OKで、Vではダメなんだろう? 最初はそういう食文化がなくて生では食べないのかなと思っていたけれど、そうではなくて、生だと「あたる」んだそうだ。同様に、鶏肉に対する扱いにもこちらはものすごく神経質なので、「ささみの刺身」なんてのには目を丸くすると思う。

『俳句の魚菜図鑑』というとっても美味しそうな俳句の季語の本を眺めていて、いやはや日本人とは山川海野辺、ありとあらゆるところで発見した不可思議な食べ物の妙味を味わい尽くす人々であるなあ、と感嘆した。ナマコのコノワタなんて、よくぞこんなものを食べてみたよねという驚き。しかもそれが珍味として、珍重されるに至っているところが素晴しい。食文化の深さと厚み。海の幸山の幸。その全てを味わい尽くす。恐るべきバラエティー。恐るべき冒険心。恐るべき詩心。

雷魚(はたはた)だの蕗だの、通草(あけび)だのってのは、いかにも俳句になりそうだけれど、ハンバーガーだのピッツアだのって、どうも詩情が薄いもんなあ。いやいや、ハンバーガーにも、ピッツアにも、詩心は隠れているはず。チーズで一句、ソーセージで一句。カリフォルニア巻にくるりと巻き込まれたアボガドで一句。やれやれ。

立ち戻って、卵のこと。あたってもいい、そのうち卵掛け御飯で食ってやろうか、体を張った食文化実験やるべし、と思い詰めつつ。食べても、たぶん、死なないと思う。