夢のお告げ

ここのところ、とても鮮明な夢を見る。ちょっとお告げのような夢である。懐かしい人たちが夢に現れる。懐かしい人というのは、もうこちらの世界にはいない人たち。その人たちが、代わる代わるに夢の中に出て来る。私はその夢の中で、いろんなお土産をもらう。形のあるものだったり、言葉だったり、いろんなものをその人たちは私に渡すのだ。

今朝もまた、夢の中に懐かしい人が現われ、私は夢の中で封筒に入った「お餞別」を頂いた。そして、その夢のことを物語に書くように、とその夢は告げた。あんまりこっちの世界で諸々の出来事が停滞しているので、あちらの世界から「ほらほら」といろいろと気を揉んでいろんなヒントを与えに夢に出て来てくれているのだろうか、そんな風に思うこともある。

だとすると、一番気を揉んでくれているのがおばあちゃん、だな。困った事があると「おっだて〜」というのが口癖の祖母であったが、きっと冬眠や秋眠などばかりしている私を見て「おっだて〜、おっだて〜」を連発しているんじゃないだろうか。インスピレーションというのは、うちのおばあちゃんの「おっだて〜」の念の辺りからこちらに発信されているような気がする時もある。祖母は私のプロモーション担当なのかしら、と思う時もある。夢の中で、文章を書く時のためのペンネームまで授けてくれたこともあった。まだ、それを使うような文章を書いていないけれど。

繰り返し出て来る夢のパターンの中に、祖母の体調が悪くなって、もしかしたら死んでしまうかもしれない、というのがある。私はもうものすごく心配で、不安で、悲しくて夢の中でオロオロするんだけど、そのうち、「あ、そうか。これは夢なんだ。おばあちゃんはもう亡くなってるんだった」と思って、やっとホっとして目が覚める。もう亡くなっているのだから、これから亡くなる心配がなくてホっとする、という実におかしな安堵の仕方なのだが、もう何度も何度も、そんな変てこな幸福感(そして、奇妙な感謝)の中で目が覚めた。

もう亡くなっているので、これから亡くなる心配がない、というのは、まだここに生きているということでもある。永遠に。どこまでも。いつまでも。「おっだて〜」と今でも祖母を心配させているのがなんとも申し訳ない。ハラハラしながら見てるんだろうな。見ているとしたらね。見ていないかもしれない。でも、やっぱり、私は見ていると思う。