心が、違うと、言いました

おっと、もうこんな時間だ。急がねば。と、コートを引っ掛けてカナダ・ラインに走る。4分おきに電車がやってくるのは、すごく助かる。これまでダウンタウンに用事がある時には常に遅刻および遅刻寸前であったのに、この夢の電車ができてからは、余裕で間にあってしまうこの幸せ。この便利さが仇となり、ダウンタウンまで寝間着のような姿で出掛けてしまうこともあるのだが、(そして、意外とそれが浮いてなかったりするのが悲しいのだが)今日はきちんと着替えた。だって、フェスティバルだもんね。今日はカナダ・ラインへの階段を、東京メトロへの階段のつもりで降りる。人の少ないこの感じは、表参道とかじゃないけどね。

さて、ダウンタウンへ到着し、本日の目的地である映画館Gへと急ぐ。ん、この列? この列? この列??!! 映画館の前からずずずずーっと伸びて、次の角を曲がって更にその先まで続く長蛇の列。これぞV国際映画祭恒例の図。シアターをフル回転させているので、上映時間の直前まで中に入れてもらえないので、観客が歩道に並んで待つのである。しかも同映画館には複数のシアターがあるので、あっちにもこっちにも、所狭しと伸びる列、列、列。例年だと、今頃はいつも雨なので、雨の中で並ぶなどというとてもさぶいことになるんだけど、今日は快晴。ちょっと汗ばむくらいの、晴れ。

ようやく席を見つけて座る。このシアター、地面に傾斜があまりないので、前に座ってる背の高いおねーちゃんらの頭がスクリーンの下半分をブロックしているのだが、会場にはぎっしり観客が詰まっているので、移動もできず。隣りに座った背の低い金腕時計&香水のオバサマは「あー、ぜんぜん前が見えないわ! 背が高すぎ、はあ」とかいいつつ消えた。その代わりにやってきた若いにーちゃんは「エクスキューズミー、この映画の監督って映画祭に来てるの? 来てたらいいなあ。監督じゃなくても、主演女優とかでも来てたら、サイコー」などと私に話しかける。「来てねんじゃねすか、知らんけど。結構ビッグな監督だしね」と私が言っても、それでも「あー、来てることを祈ってるんだ、ボク」とか言ってるにーちゃん。会場が暗くなる時に一言「Enjoy the film!」なんて言ってなかなか純朴な青年である。

と、こんな風にして見た映画は是枝裕和監督『空気人形』。今回のV映画祭で一番期待してた映画だった。予告編を見て、かなり期待し、『リンダ・リンダ・リンダ』でいい味出してたペ・ドゥナが主演だというので、更に期待。うーむ、期待しすぎたみたい。ペ・ドゥナの「人形ぶり」がいいなあ、可愛いなあ、透明で奇麗だなあというのは期待を上回っていたのだけれど、「あ、もしかしてこれってこういう展開になるの?」と予想したところが全てそういう展開になり、伏線だとかメタファーだとかもストレートに見えすぎて驚きが少なかった。思いっきり泣けそうな映画だなあと思っていたのだけれど、涙の一粒も出て来なかった。一つだけ予想外だったのは後半のホラーなシーンなのだけれど、「いらねー」と思ってしまったのは、覚めすぎだっただろうか。人の心というものを描いている映画なのだけれど、希望の光がちらりともそこに見えない(ラストのドリームシークエンスは全く説得力がないし)。読み方はいろいろあるだろうけれど、人間の心への絶望の方が強く残り、人間を信じることを諦めてしまった後の殺伐とした風景が曖昧に広がるだけ。どこまでも遥か彼方まで空虚。『ワンダフル・ライフ』を観た後の肯定的な気分はここにはなかった。これが今の日本の、世界の気分なのだろうか。だとしても、映画はそれをそのままなぞるだけでは映画にはならない。何か違う。そう思いながら映画館を暗い気持ちで出て、まだ明るいVの街の中へ、歩いて行った。