歌心との再会

晴れ。寒い。久しぶりに、思い立ってピアノを弾いてみた。ピアノは名ばかりKORGシンセの「ステレオピアノ」設定に過ぎないし、しかもスピーカーが繋がれてないので音はヘッドフォンから出て来るのみ。それでも鍵盤と鍵盤の隙間から、何か遠く懐かしい煙が立ち上って来て、時間が飛んだ。生まれた時からウチにはピアノがあって、ピアノの音が一度も聞こえない日は一年中で一日もない、というそんなウチだった。ピアノをいつ弾き始めたのか、はっきりした記憶はないのだけれど、多分三歳。ウチには派手なおもちゃはそれほどなかったけれど、ピアノだけはあっちの部屋にもこっちの部屋にもやたら立派なのがあった。

ピアノを弾くのは好きだったけれど、練習するのは嫌いだった。ピアノを弾くと、キモチがダンスするのが楽しかった。音楽がない時にはそこに誰もいないのに、音楽を歌い始めた瞬間に、誰か別の人のような不思議に美しいものが私の内側に現われて、そのぐにゃぐにゃした塊が歌いながら踊るのだ。時には目をつぶったり、時にはジャンプしたり、時には荒れ狂ったり、時にはつま先立ちでそっと近づいたり。私の知らない誰かのダンスを私の体の内側で踊るのは、何よりも楽しかった。楽しい、というよりは、それは時々なんだかとても物悲しくもあって、中の方がきゅんとしたりリンとしたりするのだが、それは子供であった私にもはっきり分かる透明な美しさを持つ誰かであった。

私のピアノの師匠であった母は、この誰かを「歌心」と呼んでいた。あんたは歌心はあるけど技術ができてない、というのが口癖だった。私は歌心というのが音楽の本質なのだろうか、と直感的に思ったのだが、その心に存分に歌わせるだけの技術を磨くのを怠り、心余りて言葉足らずのまま、いつしか大きくなり、いよいよ殊勝にピアノに向って練習するなどという気持ちが薄くなり、同時にわけの分からん野心のようなものも芽生えてやたらと何かを企画してはぽしゃるというような山師的人生へと突入。歌心にはその間、あちらこちらで助けてもらったのだけれど、その恩返しも出来ぬままに本日に至り、ピアノとは名ばかりのシンセサイザーには埃が少し乗っていた。

私は弾いてみた。シューベルト即興曲の一節を。バルトークの連弾の一節を。シューマントロイメライを。手は凍り付いたように動かず、不協和音がいくつもいくつも続いた。それでも挫けずに楽譜を追って行くと、少しずつ協和と調和の瞬間が現われ始めた。歌心は、まだ死んでおらず、少し眠そうではあるが起き上がってあの時と同じダンスを始めた。あの時と同じ。いや、あの時よりも、その人は少し悲しく、その分だけ美しかった。悲しいことなど何も知らなかった子供の中にもあったあの切ないようなキモチが、今はもっとはっきりとした輪郭でそこにいた。

これが、生きるということなのかしら。いろんなキモチを通過した分だけ、歌心は美しくなった。とても悲しいというのに、とても切ないというのに。歌心は、でも確実に、美しくなっていた。