遠隔操作法考案中

朝から激しく雨。10月の訪れは雨と共に。寒い。足先から冷えが登って来る。昼過ぎまで激しく降った後、鉛色の空を残して止んだ。これからやってくる冬のことを、その雨雨雨のことを考えると心が重い。心が、もうすでに少しずつ水気を含んで垂れ下がっているのだ。雑巾ならばぎゅぎゅっと絞るという手があるが、心というやつは手で触れることができないので、絞ろうにも絞れない。心を磨く、などと言っても、心を箱の中から取り出して机の上に乗っけて、目の細かい鑢や椿油や、鹿のなめし革なんかを使って磨くという人はいないのだから。

目に見えないもの、取り出せないもの、手で触れないものというのは、いろいろと面倒臭い。取りあえず目で確認できれば「ああ、だいぶ濡れちゃってるな」とか「あ、傷ついてる」「意外と奇麗」などと、善かれ悪しかれ大体の把握ができて安心するというものなのだが、見えないものというのは「そこにあるらしい」「濡れそぼってしまっているらしい」「傷ついてしまっているらしい」などと、「らしい」と感覚することが出来るだけで、また手に取ってみて大胆に絞り上げたり、さすったり、釘とトンカチで穴を塞いだり、消毒薬をちょちょいと付けたり、絆創膏を貼ったりすることができないので、修理の仕様がない。

そしてまた、いつかどこかの☆から来た少年が言ったように、大切なものというのは大抵目にみえないようにできているのだから、なかなかどうして、この世界に生きて行くというのは結構いろいろと厄介なのである。

さて、どうやって雨に濡れた心を絞るのか。遠隔的方法を開発せねばならぬ。砂漠の絵を見る、常夏の島の音楽を聴く、乾物を食べるなどといった「いかにも」な方法が必ずしも有効とは限らぬ。寒中水泳、更に濡れそぼるような北国の歌を聴く、熱々のスープたっぷりのラーメンを食べる、などといった一見水分が多そうなことが心の濡れを乾かすことがないとは言えないからだ。

一昨日より「シロクマ一号」と命名された除湿器を一日中稼働させている。いや、とれるのなんの、水分。空気中にあんなに水分があるって、ちょっと信じられない。除湿器があれば、水道が止まっても大丈夫なほどの水分が捕獲できる。というそのこと自体がなんだかとても嫌だ。さて、どうやって心に黴が生えないように過ごすのか今年の冬。なかなかの難題。