また原っぱへ戻されました

朝、雨。曇り空のままやがて晴れる。雨のせいで空気がやたら澄んでいる寒い日。Vの色がだんだんと青グレーに染まって来た。夕方イギリス海岸まで散歩。途中J-ファミレスで食事。とはいえ日本のファミレスとはかなり雰囲気が違う。メニューに寿司(巻きだ巻きだっ!)が一杯ある。ここで寿司をたのんじゃうと、走るワサビの姿が目の前をちらつくことになるので、今日はサバ塩焼き定食でゆく。なんでVまで来て、サバ塩焼き定食なんだかなぁ、という感慨もある。しかもお味噌汁とカボチャの煮付けまでついてるし、と秋風の吹く窓の外を永遠のさすらい人風に見つめながら、来し方行く末を思ふ。とその時。お、っと日本人のカワイいウエートレスさんが運んで来たサバ、デカい! 一匹の半身である。こちらのサバが小柄であるとはいえ、半身丸焼きはかなりの迫力だ。来し方行く末なんてロマンチックに考えてる暇なし。脂がやたら乗っているサバを夢中で口の中へと運び込む反復運動。食べても食べても、まだそこにあるサバ。なんかこれ、『夢十夜』にでも出て来そうな景色だな。

それにしても、このJ−ファミレスの日本人密度は高い。ほぼ95%くらいは日本人。あちこちから聞こえて来る日本語にちょっとドキドキする。そう、私は日本語を聞くとドキドキするのである。別に何も悪い事してるわけじゃないのに、心臓の鼓動が30%ぐらい増すのである。母国語って骨の髄まで魂の奥底まで染み込んじゃってるらしく、ちらりとその語句の断片、助詞の欠片が聞こえたくらいで、耳ダンボどころか細胞の一つ一つの耳が一瞬のうちに巨大化するのです。噂好きのオバちゃんみたいな細胞らが「...すか」「がね...」「そう...」などという断片にきょいーんと反応。隣りに座ってる男性二人組の話私が私と思っている私は全く聞くつもりがないのだが、ああ、聞いている細胞の耳。母音が子音がイントネーションが、セルオバちゃんらをドキドキさせる(話の内容は聞いていませんので念のため)。このような瞬間、ああ英語は私の骨の髄にはやっぱり入ってないんだなって思う。英語が聞こえても別にドキドキしないもの。

このドキドキ感って、なんだか昔の恋人を街中で偶然見かけちゃった時のドキドキ感に似てるような気がする。記憶の積み重ねが、この不思議な既知感が、遠い昔話の中のような懐かしい感覚が、一気に襲って来る。やばいぞ骨が識っている、魂が覚えている...というあの感じ。別れても〜、好きなひと〜、のあの感じなのである。(って、別に日本語とは別れた訳じゃないけどさ。)それとも、田舎から東京に出て標準語をマスターし、シティーガールを装って調子に乗ってたら、道端で中学校の同級生に鉢合わせ「おめー、そんげんかっこして、なにしてがいやー」といきなりN弁でダメを出されたような感覚(これほぼ実話)。なんというか、日本語に出会う度に、「おめー、こんげんとこで、なにしてがいやー」と純朴な真顔で質問される心地なのだ。人生ゲームで「火星人がやってきたので、残念でしたふりだしにもどる」みたいなのが出ちゃった感じでもある。とにかく、私は日本語を聞く度に、Nの冴えない原っぱの中でしょぼいビスケットの半分を手に握りしめ、やたらほっぺを赤くして空の向うばっかりをぼーっと眺めている田舎児童へと回帰する。どうやらその原っぱは今はNにではなく、私の骨の髄あるいは魂の奥あたりに生息しているらしい。

ああ、今日もまたダラダラと書くこの文章(字余り)。ここもまた、日本語と日々戯れるための原っぱということなのか。

すっかり寒くなった海岸に人影はぐっと少ない。さびしい、という言葉を使っちゃってもいいくらいの宵。