まだでも夏だもん

月の終わりには、月の終わりの風が吹く。夏の終わりにも夏の終わりの風が吹く。夏の風はどうやら煮詰まる。やっぱり平均気温が高いせいなんだろうか。外側も内側も、じりじり煮詰まって行くこの感じ。んーこの感覚、覚えあり。いつ、どこで感じたのだったっけ。あ、そうか、夏休みの終わりの小学生の心だなこれは。夏の初めにはあんなに未来が長かったのに、お盆を過ぎた辺りから勢いにすっかり陰りが出て、甲子園が終わった午後にはもう青息吐息。超速で打ち上がったロケットがあれれ途中で放物線を描いて戻って来るようなこの落ち込み冷え込み感。いつまでも昇って行けたらいいのに、空。いつまでも続いたらいいのに、夏。いつまでも佇んでいたいのに、夏休みの庭。

ベランダの植物を見てて面白いのは、この「夏の小学生の心」の放物線と、植物連の勢いの放物線がほとんど重なってるってことだ。お盆を過ぎた辺りからぐっと寒くなったこともあって、植物には夏の初めのような勢いが全くなくなった。斜め上45度で胸張ってたトマトの枝は今や下45度でうらめしや系に葉を垂れてるし、バジルも葉っぱがどんどん小さくなって、「増える」感じよりも「縮む」感じの方が目立つ。その中で頑張ってた小松菜も花が咲いたりした後は成長の様子がなく、放っておいたら葉っぱを「誰か」に喰い荒らされはじめたので、おととい緊急収穫。今は冷蔵庫の野菜室でしばし眠っている。

V市の夏の悲しいところは、「まだでも夏だもん」という夏の終わりの小学生のいじましい幻想すら許さないくらいのものすごーい角度で一気に秋が上陸するところ。2週間くらい前までは「でもまだ夏だもん」と夏の再来を疑わなかった植物連も「ああ、もう秋だね」と昨日今日はもうすっかり諦め顔。街行く人間ら犬らの方も、もうすっかり諦めちゃった様子で、秋の顔がどんどん浸透してゆく。近くのホームセンターには、ものすごい分量の扇風機の箱が積み重ねられて、日々その値段を下げている。今年の夏は突然一週間くらい猛暑が来て、街中の扇風機が売り切れたので、その後入荷したらしいのだが、入荷した瞬間に秋が来た。そして秋はあっかんべーしながら、とっても涼しい風を運んで来て、そのまま居着いてしまった。

まだでも夏だもん。まだでも夏だもん。まだでも夏だもん。
往生際の悪いわたしは8月31日までは、山積みになっている夏休みの宿題を横目で見ながら、この呪文を呟き続ける予定。
まだでも夏だもん。まだでも夏だもん。まだでも夏だもん。
絵日記も自由研究も漢字ドリルも計算帳もまだ終わってない。
ちいさいやつらも、獣も、音世界も、足をぶらぶらしながら欠伸しながらうたた寝しながら「あーあ」と私を待っている。
あと数日、最後のあがき。こんな時、宿題手伝ってくれる大人がいたらなぁ。そしたら、スイカ食べながら、麦茶飲みながら、眠い目をこすりながら頑張るのにな。誰かが、そこで、優しい目で笑いながらこっちを見ててくれるだけで。それだけでいいのにな。

まだでも夏だもん、まだでも夏だもん、まだでも夏だもん、
まだでも夏だもん、まだでも夏だもん、まだでも夏だもん、
まだでも夏だもん。