脳が欠伸するんです

V市の新トレンドは、なんといってもカナダ・ライン。ついこの間運転を開始した公共交通機関。昨日も乗ったし、今日も乗った。ものすごい分量の缶カラ空き瓶を引きずったホームレスのおっさんなどと遭遇するのでVバスに乗るのはあんまり楽しくないのだが、カナダ・ラインは今のところ楽しい。なぜか入口から階段を降りて行く辺りでものすごーく冷たい風が吹き上げて来る。4分間隔くらいで運転されていて、やけに便利。階段をサーっと駆け下りつつできたてほやほやの匂いのする冷風に吹き上げられると、「おお、都市」といつもカンドーする。Vはこれまで私の意識の中ではV村だったのだが、カナダ・ラインの到来により都市の「と」辺りにいよいよ辿り着いたのである。

この「と」の風を感じながら地下を疾走するCラインに乗ると、脳内に快楽物質がじわーっと出てる感じがする。昨日辺りからなぜかものすごく本が読みたくなり、同時に本を読む以外のことはまるでやりたくない(やろうとするとぐーっと眠くなる)という変なモードに入ってしまい、仕方ないので脳に快楽を与えるべく茂木健一郎の脳の本なんかをガバガバ読んでたのだが、読みながらV市におけるわたくしの脳がいかに都市的な刺激に飢えているのかということに今更ながら思い当たった。やったら美しい自然に囲まれ、天気の良い夏の日には誰もがボーっと立ち尽くすくらいのキラキラが街中に浮遊している美・Vであるのに、私はどうもどこかでしっくりこないものをずっとVに感じ続けているのだもの。

どうやらそれが都市の刺激。都市の見えない何重もの層。何が起こるか分からないスリル。日々刻々変わって行く色や形の群れ。雑踏の人のエネルギー。東京に降り立つと一瞬のうちに脳を蹴飛ばすあの刺激。それは多すぎればストレスになっちゃうのだけど、少なすぎてもストレスになるってことがあるらしいのだ。これは美Vでのなんにもぜんぜん起こらない日々(+しばしばキラキラ美Vから暗い雨Vへと転落)を何年も送ったことにより人体実験済み。今日もやたら涼しい。そして夏っちゃんは振返りもせず過ぎ去って行く。この、四季のメリハリの少なさってのも刺激の少なさの原因の一つ。例えばNは夏は死ぬ程暑いし、冬は足が凍るくらい寒い。そういうのはストレスなんだけど、この季節変化のストレスが全くないと、それもストレスになるなんてね。ここに住むまで思ってみなかった。冬も寒くないし、夏も快適なV。それで文句言ってる私はどんな我が儘な野郎なんだとも思うけど、脳が適度な刺激=ストレスを欲しがってるんだからしょうがない。

これはたぶん、かなり個人差があるんだろうなぁ。かつてVよりも更に田舎からやってきた女の子が「Vは車が一杯で、人もたくさんで、ホント疲れる」とか言っていた。私はVは動物はたくさんいるけど人がヤケに少ないなあ、刺激ないなあと思ってたとこだったんで「られっ?」と拍子抜けした。こう見えてもシティー系なのか、この悩める脳。Vで暮らす限り、あの手この手を駆使して自分で自分の脳に適度の刺激を意識して与え続けないと。これを怠るとストレス不足で脳が地団駄踏む事態が発生しちゃうのだ。そしてそれを放っとくと脳が拗ねて恐怖の「冬眠」に入ってしまう。いかん、どんどんカナダ・ラインに乗らねば! 快楽物質出さねば! などと、本日もどうも刺激目盛りが下がり気味なのを察知して急遽カナダラインに飛び乗りBook Offへ。ああ、刺激刺激。刺激が欲しい。今日はくだらん、くだらん、とってもくだらん本が、よ、読みたい。そんなうわごとを呟きながら、本棚の間を彷徨う私の目はかなり血走っていた。

さて、も一つ最近のVトレンド。恐怖の「歩き読書」。既に何人も目撃。すんげえ読みにくそうらし、そこまでして読まんくてもいいねかて! とN弁で突っ込みを入れてやりたい気持ちがぐぐぐと沸き上がるのだが、大抵この「歩き読書」派は、背中にはバックパックなんかもしっかりと背負っており、やたら姿勢がよく、本をカチっと開き、下方45度の視線が全くブレることなく、しかも上下動もない摺り足的な読書歩行に集中し切っていて、しかもやたら足が速いので全く突っ込む隙なし。歩いてまで読むのかVの夏ペーパーバック(字余り)。このトレンド、交通量の多いフツーの都市では危ないのでおすすめできない。「と」だからできる芸当である。赤ん坊乗せた乳母車で疾走する母といい、読み歩く男といい、VにはとってもVな人々が溢れている。