勝つ負け方

昨日からウェブニュースを遮断。テレビもニュースが映りそうになると「あぁぁぁぁー」と叫びながらチャンネル変えて見ないようにして、今朝を迎えた。情報は四方八方から襲って来るので、情報遮断かなり辛かった。それもこれも、一日遅れで放送される甲子園決勝をライブ感覚で見るためのお膳立て。ひゅう。何とか放送開始時間の11時まで、決勝の結果をニュースで見ずに済んだ。

真っ昼間のV市。甲子園決勝なんかをテレビの前に陣取って見てるのはここ半径10キロくらいに、まあ私一人だけなんじゃないだろうか。テレビの前で口開けて。「おーっ」とか「やーっ」とか変な声出して。ヒットが出ると「パチパチパチ」拍手して。時差の隙間に挟まっての一日遅れの甲子園観戦。もうあちらの世界では勝ち負けが決まってしまっているのだが、私の世界ではまだ勝ち負けが決まっていない。ゆけゆけ高校球児フロムN。

そう、もちろん、私はNのチームを応援してた。結果は...Nは負けてしまった。でも、あっちの世界では負けたNが、こっちの世界では勝つという不思議な現象が生じたのである。別の映像が流れたわけではない。彼らは確かに「負け」たのだ。でも、この試合を見ているうちに、勝つことと負けることの意味が、自分の中でどんどん変化していって、何が負けで、何が勝ちなのか、最後にはぜんぜんよく分からなくなってしまったのだ。「勝ち」と「負け」。さっきまで私の世界でもはっきり白と黒に別れていたものが、9回ツーアウトから5点返しなどという恐ろしい程のN球児達の粘りと気迫、冷静さと闘志を見ているうちに、ぐつぐつ煮え返り、グレーの塊になって湯気を立てはじめたのだ。

スポーツってのは、必ず誰かが勝つと、誰かが負けるようにできている。日常の中でも、誰かが勝つと、誰かが負けるのだろうか。「勝ち組」なんていう流行語から考えると、やっぱり勝ちと負けの間には一本の深い溝のようなものがイメージされているみたいだ。勝ちでなければ負けだという裏表の関係として普通勝ち負けは捉えられてもいる。でも、今日(パラレルワールドでは昨日)のこの試合の中でN球児は「負けても勝つ」ということがあるってこと、勝ちと負けは白黒じゃなくて、汗と涙と土埃にまみれたグレーのボールであるってことを青空の下で証明してくれたのだ。

勝つ負け方というのがあるのが、ようやく分かったよ! N球児達ありがとう、ようやく分かったよ!! 勝ちはどうやってそこに辿り着いたかが実は全てであって、最後の最後の判定「勝ち!」ってのは、オマケでしかなかったんだねえ。勝つ闘い方をしていれば「負けても勝つ」。とすれば、負けは永遠に消滅する。ただし、「負ける勝ち」という勝ちもあり、それは勝っても負けなんである。そんな勝ち方にとらわれ始めたら人生赤信号。人生本当に最後まで何が勝ちで何が負けなのか分からない。でも、本日の甲子園観戦により必ず勝つ方法があると分かったので、ホっと一安心である。後は、その道をゆくのみ。簡単じゃないけどね。

両方のチームが「勝つ」なんてことがあるんだねえ。カンドーした。試合に負けたN球児達は爽やかに笑った。負けて笑う人たちを初めて見たような気がした。勝ち負けを超越して、彼らは勝った。こういう試合の仕方をする人は、必ず爽やかに笑うのだ。どこまでも勝ちにこだわって、そしてそれを最後に手放す。ちょっと禅だな、これは。あの笑いを目指してゆく。