思考は指先から変わる

雨上がる。雨後の空気の澄んだ朝。鉛色の雲のカタマリがまだ空のあっちこっちに残っていて、そこに光が射して輪郭がくっきりしている。ここ数日、空は雲に厚く覆われて地上には冷たい雨が降り、光の存在すら忘れそうになっていたけれど、光は必ずそこにあって、雲の切れ間からまたいつかきっと射し込んで来るのだとうことを再び思い出す。雲にブロックされてご無沙汰だった光の粒は、いつもよりももっと透明に瞬きながら零れる。

なーんて、ちょいと詩人ぽく空を観察している暇はない。今朝は早朝からダウンタウンでE伝授しごとをこなし、その後はラッコ車に乗っかって、一路隣国AのS市へと向うのである。S市はかのイチロー選手のいる街。そして『オースティン・パワーズ』にもちらりと登場したように、スタバ帝国の中枢でもある。V市とちょっと見た目の似ているS市だが、やはりA国とC国の違いは結構大きい。なんというか、全く説明にならないのだけれど、空気感が違うのだ。AはちょっとCよりもザラザラしている。ピリピリしている。底に何かが沈殿しているような気怠さがある。まず、CとAの国境で、とっても怖そうな入国管理官に睨みを効かされ、心拍数がちょっと高まりながら管理官の質問に答える。「あなたの職業は?」「ア、ア、アーティストです...」「えっ?」「アーーーティスト!」「は?」と、なかなか通じない。私の英語が訛ってるのか、アーティストはやっぱり職業として認められにくいのか。普段でも「職業は何?」と聞かれると結構ドキドキするのに、両腕にタトゥー腰に拳銃を携えた眼光鋭い入国管理官を前にすると、別に悪い事とか全然してないのに、やったらめったらドキドキする。以前、日本の友人に仕事は何をしてるんだと聞かれて「アーティストだ」と答えたら、「アーティストって仕事かァ?」と笑われたことがあったのだが、それが心理的トラウマになってるのか(...んなわけないか)。確かに、医者とか弁護士とか先生とかOLとか主婦とか学生とか八百屋さんとか店員さんとかよりアーティストってかなり胡散臭いなあと、どこか自分でも思っているからイカんのだろう。しかも、「何のアーティスト?」とか聞かれたら更にヤバい。詳しく何をどうやってるかなんて全て説明してたら日が暮れるし、益々怪しまれそうなので、大抵は「パフォーミング・アートです...舞台作品を作る...演出家っていうか...」とか「サウンドデザインです...作曲家っていうか、ね!」とか「美術作品を作ってます、絵じゃないんですけど...アート作品をこう、いろいろ作って...」とか適当にその場その場で選んで、それらしいことを言うのだが、それでも「はぁ?」という顔をされる事が多い。(この前見た草間彌生さんのドキュメンタリーで草間さんは自分の肩書を「前衛芸術家!」と言い切っていたけど、私もあのくらいの強度で一言で言い切ってみたいもんだ。この次は「職業は?」「アバンギャルド・アーティスト!」とか叫んで見るか。かなり留め置かれちゃうかもしれないが...)

でも、時と場合、お国柄お人柄によっては、アーティストだというと、なんとなく喜ばれたり、「へえ、すてきですね!」みたいな反応が即座に出ることもある。入国審査で「アーティスト」と言って管理官の頭に浮かぶ「?」の数の多さ少なさと、その国のアートへの助成金の多さ少なさとは反比例関係にあるんじゃないかなんて勝手に想像したりする。アートが社会に浸透していて、アーティストの社会的地位の高い国では「アーティスト、ああ、はいはいっ」って感じでスムーズに国に入れてもらえる...ような気がするんだけど。気のせいかも。今後、気をつけて統計を取ってみようっと。

無事、A国へ入国。それにしても、高速道路を走る車の車間距離が狭い。この車間距離でガンガン追い越しや車線変更をするので、見てるだけで血圧が30%増しくらいになる。J国とA国の運転マナーの違いを痛感。しかし何と言っても自動車大国のA国。私が「あのー、その運転って危なくないですか...」などと嘴を挟んでも、寿司の国の住人がA国人にホットドッグの食べ方を指南するようなもの。「黙っとれや」と一喝されて終わっちゃうんだろうな。でも、怖いんですけど、その運転。これで事故が多発しないんだから、まあある意味運転技術は高いとも言えるのか。あー、車線変更する時にせめてウインカーだけは出して〜。きゃあ〜。

...とスリル満点のドライブのせいか、とてもお腹が空いた。本日の夕食はエチオピア料理。レトロな住宅を改装して使っているなかなか風情のあるお店。フと見ると、壁に「フォークのことは忘れましょう。思考回路が変わりますよ」みたいなことが書いてある。「ん?」と思っていると、そう、このお店では本場の食べ方に従い、手で食べるのでフォークが出て来ない。その代わり、度肝を抜くサイズの巨大なクレープのようなものが登場。巨大な皿を巨大なクレープが覆い、その上に調理した肉や野菜、豆などが山盛りになっている。これを個別に配られるもう一枚の巨大クレープをちぎったもので挟み、そのまま口に入れる。この巨大クレープはインジェラと言うらしく、小麦ではなくteff(テフ)という穀物の粉を発酵させて焼いたもので、程よい酸味がある。うまい。確かに、フォークを使わず手で食べるとこの料理の美味しさ倍増。思考回路も確かに微妙に軌道修正されて、普段は考えな言うなことが頭に浮かんで来る。指が口の中に一瞬入る感じが新鮮で、指と口がでもまだ上手く連結しないぎこちなさを身体が楽しんでいる。きっとエチオピアの人はとっても美しい弧を描いてお皿から口へと指を運ぶんだろうなあ。面白いなあ、食文化。面白いなあ、人間の身体。箸・フォーク・指、それぞれの思考。それぞれの身振り。
ずっと昔見たチェコのSF実験映画で、宇宙ステーションにいる人々が食事するのに銀色のピンセットを使ってたのをフと思い出して、口の周りソースでべたべたにしながら笑った。