植物における秘すれば花

今日はV市もほぼ真夏日の気温。さすがにちょっとウダる。日中、銀行を経由してダウンタウンの本屋まで出掛ける。かなりウダって、途中のイタリアンカフェでジンジャービールなる清涼飲料水を飲む。辛い。V市では一般家庭にはエアコンがないのが普通なんだけど、さすがにカフェとか銀行とか、スーパーマーケットとかはキンキンに冷えているので、ついそんな所に入ってしまうと、なかなか出て来れない。銀行なんか「お待たせして済みませーん!」なんて行員さんは言うのだが、いえいえ全然平気です。むしろもっとゆっくりやって下さいと言いたいくらい。だって涼しいんだもん。

昨日決行した植物の別居は、今のところ上手く行っている模様。まだミントからパセリに飛び火したアブラムシコロニーは健在ですが。朝っぱらからスプレーで葉っぱに水をかけながら、アブラムシ洗浄作戦を行ったのだが。また何時間かして見てみると、あいつらは戻って来ている。うう。親の敵を打つような勢いでまた洗浄。やつらはでもきっとまた戻って来る。ひょお。でも、だんだんとコロニー内の虫の数が減っているような。これは根気比べになりそうだな。牛乳に水を混ぜてスプレーすると効くとかいう噂なのだが、たまたま牛乳を切らしていたので、まだ実験してません。実験台にされるアブラムシも迷惑だろうが。しかし私には植物連中を守らねばならぬ使命が...。

...アブラムシというのは肉眼ではなんだか丸っこいだけで顔とか手足とか口元とか判然としないんだけど、フフフ、秘蔵の「電子顕微鏡」で観察してしまおうかな。この電子顕微鏡は小さいもの趣味が高じて買ってしまったもので、コンピューターにつないで観察するという代物。写真も撮れます。たぶんアブラムシくらいの大きさが一番手頃な観察対象なんじゃないだろうか。それともあいつらは、テテテテテっと視界から逃げて行ってしまうのだろうか。

昨日はミントとパセリの別居のついでに、ここ一週間くらいで恐ろしく巨大に成長したトマトも、思い切って大きい鉢に植え替えてみた。こんな暑さの盛りに、しかも既に花芽をいっぱいつけている状態で、植え替えなんかしていいのかどうか分からないのだけれど、どう見ても上半身に比べて下半身が小さくなりすぎて、窮屈そうで気になっていたのだ。土をそっとマッサージして、少しづつ優しく鉢の中からトマトを取り出す。結局、鉢の下の方にびっちり伸びてぎゅうぎゅうに詰まっていた根の一部はちょんぎれてしまった。ああっ。こんなにフカフカの大切な根が...一瞬焦ったけれど、なんとか落ち着きを取り戻して、今までの鉢の4-5倍の大きさの鉢に移し替えた。ようやく上半身と下半身のバランスが取れて、なかなかカッコいいぞ、トマト!

私の予想では、今後トマトの上半身はこれまでの3倍くらいまで成長するんじゃないかと思う。根がちょんぎれちゃったのが心配だけど、きっと新しい部屋にどんどん新しい根を伸ばしてくれるだろう。植物と鉢の大きさの関係って不思議だ。ミントがデカくなりすぎたのも、たぶんデカい鉢に最初から植えたから。鉢がデカいとデカくなるし、鉢が小さいと、鉢の大きさに合ったこぢんまりとした枝葉になることが多い。それでも、時々、鉢の大きさなんかお構いなしにどんどんデカくなるトマトのようなやつもいる。人間と環境の関係とか人間のウツワの大きさとか、なんかそんなことをフと考える。それにしても、植物はなんで鉢(ウツワ)がちっちゃいと、葉っぱも花もちっちゃくなるんだかな。

なぜか。と考えて、あ、そうかと、ようやく根のことを思い出した。そうだよな、枝や葉っぱ、花や果実の裏側には、それと同じだけの大きさの(たぶん、それよりもずっと大きい)根の存在がある。目に見えない部分。世界の向こう側にある部分。そっちが大きくなると、こっち側も大きくなる。そっちがちっこいと、こっちもちっこくなる。これは人生の教訓か? いろいろと教えてくれるじゃないか、植物連中よぉ。いつもは花や葉っぱに気を取られてなかなか根っこの方には目がいかないけれど、日の目は見ぬ根が十分に育っていなければ花は決して咲かぬ。深い。根も深いけど、この教えも深い。大きい鉢に隠れたトマトの根を心の目で透視しつつ、トマトのユラユラした葉っぱ越しに眺めると、「秘すれば花」っていう例の言葉は、根っこを密かに張り巡らせておいて、ある日すっくと立ち上がって美しく凛と咲けとでも言っているような。はは、勝手な解釈。