V図書館読み切り計画:013『佛教入門』

最近、仏教が気になる。子供の頃、祖母が仏壇にお参りするのに参加して手を合わせ、それから背が伸びていつの間にか般若心経もソラで唱えられるようになり、アナタの宗教は何かと問われれば「うーん、家は禅宗曹洞宗で...」などと外国人に説明しつつも、「あ、でも、シントーシュラインに行くと、そっちでもお参りするよっ!」とつい付け加えちゃうような、典型的な日本人なのではあるが。

昔からお寺や仏像を見るのはかなり好き。信仰心も結構ある方だと思う。でも、いざ仏教の教義だとかシンボリズムだとか、説明を求められると、しどろもどろになっちゃうんだよな。勉強したこともないし、誰かが系統立てて教えてくれたこともない。祖母が「ほとけさまはね...」と昔話風に教えてくれたことや、お寺訪問した時に貰ったパンフレットとか、親族のお葬式で見た僧侶のパフォーマンスとか、あるいは歴史の教科書とか。そういう断片的な知識しかないくせに、尋ねられれば「まあ、私は仏教徒かな〜。どっちかというと」などといういい加減なことを平気で言っている。

しかも「仏像を見るのが好き」などと言っている割には「菩薩」と「如来」と「観音」の違いは何なのかと聞かれると「?」と詰まり、「いや、それは、なんというか、その、皆、有り難い仏様なのであって...」などといい加減なことを早口でまくしたてて、後はただ黙々と手を合わせて逃避。何十年もの間、仏壇にはお経を上げ、お盆にはお墓参りに行き、お寺を巡っては仏像と対面し、などということを繰り返しているというのに、ここまで曖昧で「?」なのもちょっと変だよな、と、ようやく最近になって反省した。なんとなく「仏教ってこんな感じ〜」と思っているコレ。コレがどこから来て、私をどこに導いて行くものなのか、そのもっと深い部分が知りたい。絶対に知らねば。と、これまで長年「?」を抱えて平気でいた割には、いきなり知的好奇心が燃え上がり、止まらなくなったのである。

最終的には禅系とか密教系とか、個別の宗派がどういう歴史のいかなる教えの上に成り立っているのかも確認したいのだが、ともあれまずは仏教の全体像を知らなければ...、とモノに憑かれたようにV図書館をうろつき回った末に見つけたのがコチラ。

仏教入門 (1964年) (中公新書)

仏教入門 (1964年) (中公新書)

(収蔵日:2000年9月10日)

昔に出た本なので、活字も古いし、とっつきやすい雰囲気ではないが、ブッダが仏教を興すまでの背景や、仏教の大本となっているブッダの教えなど、仏教の始まりの根っこのところが、ググっと詰まっている本。「佛教とセックス」などという、「え、あ、そこが聞いてみたかった!」という感じの興味深い一章もあり、ブッダの時代からいろいろと問題になっていた仏教教団における男女の区別(差別)のことなんかがかなり詳しく書いてある。例えば、基本的には女性は成仏できないと当時は考えられていて、でも女性の出家者である「比丘尼」を認めてしまった都合上、矛盾をクリアするために、女性は修行の末に「変成男子」つまり男性に変身して成仏するっていう考えが生まれた、とか。女性陣としてはちょっと微妙な情報だよね、これ。あと、ブッダが出家者に求めた「禁欲」の凄さってのも、予想以上だったな。これは出家した信者にのみ当てはまることで、一般の信者にはもうちょっと優しかったらしい(男女ともに)けどね。その他、ブッダの頃の仏教教団とインドのカーストの関係なんかも詳しく書いてあり、目からウロコ。そうかー、そうだったのかー、えええっ、そんなー、ひょー、などと、知的好奇心をいろいろな方向から刺激され、ますます仏教に興味が沸いてしまうという、まさに「仏教入門」体験の本であった。

ブッダの教え」の章は、啓発書としても読めるかも。やはりブッダ宗教哲学の一番すごいところは「人生は苦なり」と言い切ったこと。そして苦が生じるのは「欲望」があるからだと見極めたこと。そして苦から逃れる「さとり」への道を苦行でも快楽でもない「中道」を悟ることの中から見いだそうとしたこと。シンプルだけど、深いぞよ。うーん。まだまだ入口。次は禅の本でも読んでみよっと。

今回、V図書館からは神道入門みたいな本も一緒に借りて来た。八百万の神の世界も、子供の頃から親しんでいるワールド。神社に行くと必ずお賽銭を上げておみくじなんかも引いちゃうし。巫女舞なんかやってるとうっとり見とれちゃうし。でもこちらも外国人などに「シントーって何ですか?」なんて説明を迫られると、なんとなく曖昧で「?」が複数浮かぶ自分がそこにいて。今回、よい機会でもあるのでこれも深く反省。仏の世界、神々の世界。しばらくは、この知ってるつもりで知らなかった世界を探検してみることにします。どちらもあまりに奥深いワールドなので、いつ帰って来れるかわかりませんけれど。